Ψ3への侵入
次元観察子Ψ3は、他者のマクロコスモスです。
しかし、Ψ1の自己のマクロコスモスとほぼ同義。
何が違うのかと言うメモを、ここに残します。
過去記事ではΨ3は「ひとんちの米びつ」ということになってますが、もう少し掘り下げます。
人類が神を見る日 という本に書かれた次元の考え方は、少し定義が混同していますね。
私もAIに教えて貰うまでは、次元の定義付けについて分かっておりませんでした。
分かってないのに分かった風に言ってたんかい、となりますが、その通りです。
らしんばん座に導かれるままに、タイピングしてました。
次元、難しい。
他者の精神空間=他者次元という視点で、色々考えてみたいと思います。
人類が神を見る日 より引用。
これから暫くして、フラットランドの説明が出てきます。
二次平面は、ヒルベルト空間と同等であると言っても差し支えありません。
ここから追っていくと、次元の認識の混同が見られます。
よく読むと全然間違ってはいないのですけれど、少し分かりにくい所があります。
そもそも、オコツトの説明もよく分からない。
この説明から、よくψ1 ψ2 ψ3 の分析を行えたものだと関心するほどです。
オコツトの説明を、少し噛み砕いてみましょう。
まず、平面世界を立体であると仮定するところから混同が始まります。
そして、立方体を例えに出すのも混乱を招きます。
過去のnoos漫画に「4次元は立方体」と描きましたけれど、これは数学の考え方の一例であって、あくまでも象徴なんですね。
紙に描くイラストは、立方体ではなく鉛筆である必要がありました。
そして、鉛筆の先の部分に、物理的に鉛筆の先を置きます。
イラストの鉛筆。
物質として実存している鉛筆。
同じ鉛筆であると認識出来ますが、絵と物質という違いがありますね。
4次元とは、完成体を意味します。
「このイラストの鉛筆は、手に持っている鉛筆と同じものだぞ」
と認識することが、4次元です。
鉛筆の芯と本体の木の製造・削り出しののち、2つを接着剤でくっつけて規格通りの長さに切りそろえ、1ダース単位で箱詰めして出荷。
という過程を飛ばした状態。
この過程が3次元なんですね。
設計図から立ち上げて、製造完了までの道筋。
3次元とは、物質的な観点から見て或るようで無いものなのです。
無限遠点とは、トーラスを意味します。
鉛筆の製造、顧客の消費、経済の流れ…。
広い意味での全体像。
そりゃ、遠く感じますよね。
鉛筆工場に赴かないと、どのように鉛筆が作られているか検討もつきませんし。
難しく書いてありますが、この通りなのです。
対象の内部と外部が反転しているのです。
ホログラムから、感触のある実物へ。
この反転がΨ3への侵入であると共に、ψ3から虚像が実像となって浮かび上がってくる原理とも言えるのです。
自分が認識することそのものが、物体を物体としてあらしめることになる。
などということは、これまでヌース界隈で散々語り尽くされてきたと思いますが、結構重要なことなのでここに書き記しておきますね。
こうしてみると、なんだかよく分からない。
でも、そういうのもある、という。
この図ではリンゴのイラストになっていますが、リンゴはリンゴとして物質であるという情報=スパイクエネルギーを発しているので、それを感知することで自己も他者もリンゴを見てリンゴであると理解が可能になり、リンゴという存在がリンゴとして認められるわけです。
スパイクエネルギーとは、レプトンのτニュートリノです。
波動定数の一番上と一番下(酷い説明…)
専門用語を引っ張り出すのが面倒で…。
すみません。
波動の波を付帯質として人間は感知します。
物質とは、τニュートリノの波動スパイクの最高値と最低値の中和と言えるのです。
そして、物質を物質であると認知された瞬間から「位置の中和」が為され、Ψ5 Ψ6 という次元が発生します。
この辺りは、ジョージ・バークリーによる人知原理論の証明になっています。
「存在することは知覚されることである」
世界は観念であり、たとえば私が目の前の机を叩いてその硬さを認識したとしても、「机の固さ」としてではなく、「知覚として」認識しているわけであり、「机自体」を認識していることにはならない。
個の心は一つであり、分割することはできず、これ以上延長することもできず、形もない。
ゆえに個の心は不滅であり、これは実体である。
わたしの目の前の机もわたしの身体も世界すらもわたしが知覚する限りにおいて「わたしの心の中に存在する」のであって、事物は観念の束である。
バークリーは物質を否定し、感覚的な観念の原因は神であるとして、知覚する精神と神のみを実体と認めた。
ハンバーグはどこに行ってもハンバーグですが、異世界では「ポキャラオマ」と呼ばれているかもしれない。しかし、やはりポキャラオマもハンバーグも同じ成分の同じ物質であることには変わらない、という。
認知する人が、ハンバーグかポキャラオマかを決めるのです。
それが個であり、自己としての神性というものになる。
ということですね。
Ψ3への侵入とは、人知原理論への理解を示すこと、となります。
バークリーはニュートンの流率方(積分)を厳密な数学ではないと退け、現在の微分至上主義の礎にもなっているようです。
ある意味、現実主義者だったようですね。
これはどういうことかというと、Ψ3への侵入は虚数を以て行うことが可能である、と意味になります。
ベクトルの問題。x y
他者は他者として既に4次元であるため、そこに至るまでの1〜3次元の過程を識るには、複素数の虚軸が表相として反転してしまう、ということ。
つまり、インナーチャイルドのコンパスの針が揺らがない限り、他者宇宙への侵入は不可能となります。
大抵の場合は、負荷が発生します。
良くて等化、中和なんぞ起こそうものなら、本が数冊かけてしまうくらいの手順を踏む必要があるという。
Ψ1 も実は虚数により侵入が可能となっておりますが、ここではマクロコスモスの流れがΨ3と逆方向になっているのです。
流動エネルギーの方向性の違いという区切りがあるのですね。
また、Ψ1〜Ψ2はマイスナー効果が一部当て嵌められ、一定の臨界温度になると(温度は決まっていません)磁場から変換された電磁波が侵入しなくなる、という特徴が顕著です。
他者宇宙Ψ3〜Ψ4は、マイスナー効果の遮断電流の磁場の調整質が殆ど効かない、と思って間違いないです。
自己宇宙Ψ1〜Ψ2は、感性球の状態によってはある程度は磁場エネルギーをタキオン変換させることが可能。
ただ、酷い負荷が発生する場合もあります。
この場合、無限遠点の位置の座標により変動します。
実は、中心球の置き方を自由に変えても良いのですよ。
表球をψ2とすることも可能。
その辺は、わりと変動が可能です。
マイスナー効果が発生した際に、磁場の等化が行うことが出来れば、どうとでもなります。
自己をあらしめるのは自己、という。
鏡像反射による他者の虚像は、点質の集合体、とみることも可能。
とりあえず、ここまでにしておきます。
ここまで読んで頂き、ありがとうございました。