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絶対続かない手帳術
記録の難しさ
私はそのズボラさから、何度も手帳を買う度に挫折してきたという経歴を持っています。
手帳ライフ、頑張ろう!
と思っても、全く続かないです。
これの延長線で、育児記録も殆ど出来ませんでした。
イオンにある乳児用の体重計を用いて体重を測りに行って、それを母子手帳にちょこっと書き込んだだけ。
専用の冊子を産院から貰って
絶対に書くぞ。
後で見返した時に喜びが待っているから。
という経験則による未来予測が可能にも関わらず、出来なかったのです。
自分の日記などを数年越しに読むと、非常に面白かった経験が複数回ありました。
「こんなこと考えていたんだ」
と当時のことは欠片も思い出せませんが、その時はそれなりに楽しめました。
ちょっとした読み物ですね。
活字中毒予備軍だったので、身の回りにあるいろんな文字を読んでは暇を潰すという習慣があり。
読んでそこから他のことを連想をするという行動は、また別のお話。
それはいつしか、数少ない人生の喜びの一つとなっておりました。
私にとっての「ヨロコビ貯金」的な行動が、日記という媒体だったのです。
記録は宝物だ、と。
という経緯があるにも関わらず、記録を残せない哀しみに苛まれておりました。
このことを家族に話すと、十中八九貶されバカにされるのでリアルでは口外しません。
余計な自分語りをして、むざむざ嫌な思いをするほど、私は学ばない人間ではありませんので。
記録はともかく、手帳を扱いきれないというのはどうなんだ、ということで、手帳を扱えない原因は何か?どうして続かないのか?という研究を密かに行いました。
その理由をここに書き出します。
いつものメモ記事です。
必要なのは暇
記録は、心に余裕がないと出来ない、ということで自分の中で落ち着きました。
同時に、周囲からの圧。
強制力がどうしても必要である、と。
自分の為になら無限に頑張れるという精神の持ち主であれば、手帳を続ける素質があると思います。
私はそうではありませんでした。
私が続けることが出来た記録。
気力が続くまでの間、趣味で書いた日記。
学校に提出する日記。
職場の記録。
これだけです。
それ以外は良くて三日坊主、最悪一日坊主でした。
なんで書けないのかなあ…。
私ってダメ人間なのかしら。
と考え続けたある日、ふと理解しました。
キャパシティが足りないのだ、と。
生活に余裕がないのです。
金銭的な意味ではなく、時間と精神的な意味で。
日々是好日 ではないですけど、わりと満身創痍で生きています。
寝る準備をして布団に入ったら、深く眠ります。
悩み事少なく、イライラすることも少なく、毎日創意工夫、考えながら生活をして、自然に眠りにつくくらいまで疲弊をして。
その繰り返しでした。
メモを取ることはあったけれど、日記を書くまでにはならなかったです。
交感神経と副交感神経の切り替えが難しいのだ、と今なら分かります。
書き物をするのと、家事などで動くのには、脳の神経の切り替えが必要になるのです。
動き回るモードで過ごしていると、書き物モードに切り替えるのをすっかり失念してしまうようです。
私の場合、モードの切り替えをすると途端に動けなくなってしまうので、書き物モードに切り替えることが難しかったようです。
大抵の人は、記録が出来ないことを言うとバカにしてきます。
なんでそういう心理になるのだろう?
と分析をした結果、彼らの中で
記録が出来ない=文盲である
という図式が成り立つらしいのですね。
あ、書くという行為を勉強の一環として見ているのか、という新たな発見がありました。
学校の成績が良い人というのは、それ専用のモードに浸らないと机に向かえないらしいです。
「ノートに文字を書き出す自分、かっこいい」
という深層心理に働きかける暗示です。
文字を書くこと、字を書くことがステイタスとなっているのですね。
肉体の数値のステータスという意味ではなく、上位娯楽的な意味のステイタスです。
つまり
「体が疲れちゃって、書付が出来ないんです」
とどんなに訴えようと、ステイタスとなっている人には
「こいつは文字を書けないんだ。文盲のノロマなんだな」
と見られてしまうということ。
そんなことあるんかよ、と思われるかもしれませんが、そうなんですよ。
そうなければ、あの退屈過ぎる学校の勉強内容に付いていくのは無理ですって。
理解が出来ないのであれば、尚更。
その場で解を導き出せない時点で、途端に勉強はつまらなくなりますから。
人間は快楽に忠実な生き物です。
原始の快楽とは、勝利。
これだけです。
勝つことだけ。
負けるが勝ち、と言える人は、ちょっとばかり大人ということになりますね。
いやー、原始性質って荒っぽいやねえ。
勝つためだけに文字を操る人は、記録に価値を見出した途端に永遠に続けられるでしょうね。
私は別に勝とうとかいう気がないので、そのせいで継続の先にどんなに自分にとっての快楽があろうと、キャパシティの限界を乗り越えることが出来ませんでした。
そうして物凄く後悔して
育児が辛かったんだからしょうがないよね。
記憶を辿るだけにして、新しい思い出を作ることに専念して生きていこう。
と、半分くらい開き直ることにしました。
過ぎたるは及ばざるが如し。
仕方ないんよ。
スマホに写真が入っているので、気がついた時にそれを見返すだけにして。
写真アルバムサービスを頼む元気もなかったわ。
疲れ果ててしまって。
そうした反省の中で、一時的ですが手帳を集中して書けた時のことを思い起こしてみました。
答え。
仕事のシフト表を手帳に書き写す。
それを学校の待機時間に。
それは、看護学校時代の限られた環境だけでした。
学校にいる、それも休み時間の間だけ。
話す友達がいない時は手帳に集中できました。
それ以外は無理です。
家に帰って、勉強して、寝て…おわり。
つまり、暇つぶしの一環としてのみ実現が可能となったのです。
動き回って仕事して、ふとした瞬間に考えます。
「手帳にシフトを書かねばならんな。メモに移した勤務表を…」
大体、倉庫に行った時やシーツを運んでいる時、ほんの少しだけ脳の領域が空いた時に。
片隅でこっそり、小さく行動計画を立てるのですね。
日常の暇を洗い出します。
その頃は超絶忙しかったので、学校にいる間しか真の意味での自分の自由時間がない、という結論が導き出せました。
つまり手帳を書く、書ける時間とは、生活の余剰からのみです。
秘書などスケジュール管理が業務になっている人は、無理矢理にでも時間を作って整理をします。
それが仕事ですし、「絶対にやるんだ」という強い意志と、周囲からの環境の圧、責任感がないと行動に移せないです。
ほぼ日手帳を可愛く書ける人が羨ましいです。
すごいバイタリティ。
自分の生活記録を可愛くデコる、暇と気力と余剰そして欲望がある証拠。
糸井氏は、自分のことをダーリングと呼ぶことがありますね。
自分をそれだけ愛せる人間ってことです。
だから、ほぼ日手帳みたいなことが出来るのです。
自分をとことんデコれる。
抵抗がないため。
ある意味、素直で羨ましい限りです。
コーザル体が活発なのだと思われます。
私は、しっかり育児記録を書いて、大きくなった息子と娘にそれを見せびらかしたい。という夢を叶えることが出来なかった。
今からでは遅いのです。
生まれてから1歳の誕生日を迎える頃、贅沢を言えば3歳まで。
子どものために頑張れないのか?
無理です。
体力がない。
そして、自分の時間を少しでも作らないと精神が壊れる。
実際、ちょっと壊しました。
キャパシティが足りないのなら、生命を燃やしていくしかないのですが。
そんな燃料、どこにもなかったです。
これは誰に言っても理解されませんので、私は死ぬまで「だらしのない嫁」というレッテルを貼られたままです。
死んでからも、ずっとかも。
継続は力なり の前に
noteに記事を乱発していますが、自宅療養を続けているからです。
実家で休んでいるから。
周囲の手助けがあるから。
Twitterはきりが無い上に、時間食い虫なので断ち切りました。
辞めた理由はそれだけではないですが。
noteなら、スキマ時間に書けますでな。
何度も下書きを繰り返して、ちょっとずつ書いています。
大体走り書きですし、一気に書かないとテンションが続かないですけどね。
必要なのは暇です。
それと、体力。
書く内容。
手帳を続けたい、という人は、手帳を書く時間を作ることから始めます。
電車の中。
部屋でのリラックスタイム。
モチベーションとかいうものは、すぐに燃料切れを起こすので駄目。
書かねばならぬ。
という強迫観念が必要。
シフト表を書き写す行為は、実は二度手間です。
行動回数、可能アクションの消費、というエネルギー配分を考慮しないと続きません。
印刷したものをその辺に貼っとけばええやんな、という人には、正直手帳は不要です。
継続は力なり は真実であり、これ以外に強くなる方法はないのですが、まず環境を整えることから始めないことには無理です。
忙しすぎて八方塞がりだという人は、キャパシティの節約法を模索します。
手帳で整理、とか絶対に無理です。
仕事が増えて、てんてこ舞いになるだけ。
手帳代が勿体ないです。
学生ならなんとかなるでしょう。
10代のうちに記録のイロハを学んでおくのは大事です。
何事も訓練。
訓練の継続の先に、力がある。
日記や手帳が続かなくて落ち込むという人は、星新一の「なぞのロボット」というお話を思い出してください。
意味不明なストーカーロボットの役目は、ただ日記をつけることだけだった。
というオチです。
日記ロボットに頼むでもしないと、記録や手帳を続けることは無理なんどすわ。
書き物は義務などではなく娯楽、くらいの余裕のある生活を送りたいですね。
ここまで読んで頂き、ありがとうございました。