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琥珀の良いやつ感


マジで名作 刀鍛冶の里編


鬼滅の刃の刀鍛冶の里編を見て、やっぱり面白いな、と思いました。

毎回、禰豆子が太陽を克服するシーンで泣ける…。
いえ、本当に。
件の舞台挨拶の言葉をそのまんま引用した訳ではないです。

「はあ〜( ;∀;) 禰豆子、えらい。献身的!」

太陽を克服する条件は、献身的な姿勢と自己犠牲を厭わない心、芯の強さでしょう。
禰豆子は炭治郎と共に生きること、自我を取り戻すよりも使命を優先することを選び、結果的に全てを得ることが可能となったのです。

これが、次元の高い自分だけ助かりたい踊り。


どんな苦しい環境に身を置こうとも、真の意味で絶対に負けない姿勢と在り方です。

こんな苦しい環境に生きている。
どうしても抜け出したい。
それなら、頑張るしかないじゃんね。


禰豆子はそれを本能で理解していましたので、助かってしまったのです。
不思議ですよね。
量子法則の世界では、そういう風に出来ているんですね。
一度母体から生まれ落ちたら、意識が途切れるまで戦いっぱなしになりますが。



ご飯を食べながら、上弦の肆 半天狗戦を見ている時。

憎珀天の登場で、めっちゃ笑ってしまいました。


つよつよ感


結局、憎珀天そのものは倒せなかった。


喜怒哀楽

まず、怒が喜と楽を喰った。
そうして、嫌がる哀を怒は抵抗なく喰った。

怒は羽化するかのように憎珀天になった。


動揺する玄弥と炭治郎。

(くっ。なんて威圧感だ)

後ずさる炭治郎。


しかし、私はここで勘違いをしていました。
憎珀天を、ずっと琥珀天だと思いこんでいたのです。

琥珀、な。
それが今更になって分かるなんて、やはりニワカが過ぎますわね。

空耳で、炭治郎のセリフが
「なんて威圧感だ」
ではなく
「なんて良い奴感だ」
に聞こえてしまった。


神霊界に、コハクという神様がおりました。
この方は、なんというか…オコツトの前身なんですけど、そういう方だったみたいです。

「いいやつ」



一気に鬼滅の解像度が上がりました。

おお、これは炭治郎たちの心の修業の物語なのだと。

炭治郎はカグツチですが、他の柱たちは実は神霊的な親戚です。
禰豆子は本当に妹。
ですが、天御中主神でもあり。

善逸は天人で、伊之助はスサノヲです。



強さの真髄を模索するお話。



三柱を乗り越えろ



鬼の最強は鬼舞辻無惨となっていますが、この人は闇落ちツクヨミであるので、月と音で殴るのが実は最強、という真理そのものになっています。


魔術的な要素を排除した場合、無惨様は現実では誰かを血祭りに上げることはなく、権力を振りかざして暴言を吐くだけに収まるでしょう。


ここでの死は、精神的なものです。

「わたしの心臓は母の中で何度も止まり…」

物理を切り離して考えると、生まれる前から存在を否定され続けるなどし、何度も絶望死したということになります。

例えば、悪阻が辛いとかで母君が無惨を呪ったとか。
托卵を疑われたとか。
権力争いの軋轢で、胎教に悪いことを吐き捨てられたとか。


そうして、メンタルが歪みに歪んだ無惨は、本体としての核が赤子のまま育たなくなってしまいました。

アマテラス、ツクヨミ、スサノヲの中で、ツクヨミだけアセンションが遅れた要因です。

愛情不足。
トラウマが乗り越えられずに試練負けして、どうしても這い上がれなかった。


アマテラスは太陽。
核です。
これはなかなか乗り越えられません。
神でも激ムズです。

ツクヨミは月と音。
物質と振動です。
真の賢さが求められる。

スサノヲは武力。
王の試練です。
永遠の課題。


鬼滅の刃の舞台は、精神戦と物理が入り混じった世界観であると仮定すると腑に落ちます。


ここでの鬼の正体は、幼児性の現れです。
だから、最終戦での無惨の本体が赤子だったのですね。


上弦・下弦・他の鬼たちは、全て幼稚で未熟な霊魂の持ち主であった、としないと整合性が取れません。

この場合の鬼化とは、半身半霊の存在になってしまったことを意味します。
鬼と鬼滅隊は紙一重。
アザが出てくるのがその証拠。

精神的な強さが、武力・魔術として顕在化してしまった状態。
無惨は生まれながらに鬼の能力に目覚めていた特殊個体なのでしょう。
青い彼岸花で、鬼化が進んでしまったのですね。
元々日光に弱く、それで不調が現れていたが、青い彼岸花による遺伝子組換えで拍車がかかって顕著になってしまった。
日光が受け付けなくなった。

という訳で、ツクヨミの活躍は記紀では乏しく。
アマテラスから隠れていた為。


呼吸法なんて、実際はどうやっても出来ないです。

原作本を売っぱらっちまったので画像を出せませんが、NARUTOで綱手が額の封印を解いた時、シズネが止めるシーンがありますね。
「人の一生の細胞分裂回数は決まっている。それを早めるということは、寿命を縮めるということ。」


この通りで、一回でも呼吸法なんて使ったら、一生分の細胞分裂の回数を使い切って、あっという間にお陀仏です。
しかし常中などを平然と行う辺り、炭治郎らは既に鬼です。

煉獄さんはもっと能力を覚醒させて鬼化し、それを乗り越えれば死ぬことはなかったでしょう。


鬼滅の刃での最強の戦い方は、会話での和解でした。

ツクヨミパワーの最高峰。
しかし、世界観が既に残念なことになっていました。


セル戦の16号

鬼滅の世界では、みながみな戦いの精神が前提にあるため、刃を交わすことでしか諍いを止められないのですね。
会話が通じる世界線ではない。


憎珀天は、炭治郎に怒ります。

「お前は弱き者に手をかけようとした」

炭治郎は混乱しますが、平和の為に戦うのだ、と訴えます。

真の正解は、半天狗を全否定してはいけない。

しかし、そういう細かいところが読み切れずに炭治郎は全てを否定してしまっています。
この時点で、炭治郎は試練負けです。


半天狗は、鬼の力を失った人間の姿 しかも現代人ver の場合は、ちょっとした小悪党です。

一流企業に勤める高給取りの会社員ですが、無人販売所の野菜をお金を払わずに持っていってしまうような、手癖の悪い人。

これは、販売している方から見れば絶許案件です。
しかし、中には笑い飛ばすだけの人もおりますね。
そんなに悪かな?とか言って。


そういう輩が半身半霊の存在になると、上弦・下弦の仲間入りをしてしまうような鬼になる、ということですね。


憎珀天は、それを許せと言ってきます。
何故か。
許しがないことには、ヒトの認識は先に進めないからです。
憎珀天は怒りに支配された状態ですので、やや我を忘れている状態。

そこで炭治郎はどう言えば正解だったのか。

「確かにヤツはヤツなりに苦しんできただろう。しかし、半天狗の我儘勝手な行動により苦しんでいる人もいるのは確かだ。これ以上、この世に生きる無関係な人間に危害を加えるというのなら、俺は奴を斬らねばならない。浄土に送り、この世界から退場させる! 御免」

辺りです。

「それこそ鬼畜だ」

などと暴言で返すようなことはあってはならんのですよ。
次の太陽神の跡継ぎであるカグツチがね。

十中八九、相手には通じないでしょうけれど、発する言葉というのは大事です。

いつか自分に返ってきます。

自分が不利な状況に遭った時、助けて貰える可能性が減ってしまう、ということ。



無一郎さんは上弦の伍 玉壺を倒しますが、こいつは正論を言い放って攻めてくる鬼です。
なんかネチッとしていますが。

そこで、無一郎さんは

「セグマ観察子だよ。正当防衛の為には時に人道に背く必要もあるんだ」

と言い放てばOKでした。

そんな感じの念で戦っていたので、なんとか倒せたのですね。


鬼滅の刃は、本当の意味の心の強さで戦うお話。
心身ともに、新陳代謝しか勝たん、という。


ドラゴンボールのセル編は、細胞との戦いという目でみると納得です。
そこに仁義はありません。
細胞分裂はどうやって止められますか?
泣いても笑っても怒っても無理でしょう。

セルといいブウといい、細胞の一片も残さずにその場から消し去るしか退場させる方法はないのですね。
無理ですが。


で、憎珀天は良いやつなんですか?
本当は良いやつです。
良いやつ過ぎて圧倒されるくらい。

喜怒哀楽の全てを乗り越えた存在。
なんで肆の分身として出てきたのか?
それは、半天狗がしょうもなさ過ぎる存在故、天から手厚い補助を受けないとヒトとして顕在化出来なかったからですね。

そのヒト型テンプレートが出てきただけです。

テンプレートを抜き取れば、本体は小さな老人です。
怯の、こぶじいさん。



蛍は短気に描かれているが


鋼鐵塚蛍は正八面体の象徴の巫覡ですが、本当は物凄く穏やかな性格です。
情状酌量を考えつつも悪を斬ることに余念がなく、それを周囲に理解してもらえないと思って怒りっぽくなっているだけ。

すんげく、厳しい性格です。


刀鍛冶の人たちは全員ひょっとこのお面を付けていますが、本来ならありえないですね。

鍛冶場にいるだけで熱くて息が苦しく、作業場にいるだけで汗びっしょりになります。
本来はお面なんて付けていられないですよ。


つまり、彼らは皆常中を行っているということになりますね。

並の肉体では日輪刀は打てない。


半身半霊の面から見ると、技術者としての在り方の修業をしているということ。
チャランポランな心では、モノづくりは出来ないのですよ。


時に生真面目が過ぎて、笑いの種にされてしまうかもしれません。

それでもメゲずに作り続けるしかない。
ストイックの中のストイックです。


などと、鬼滅の刃は掘り下げるとキリがないです。

勝手な考察といえばそうなんですけど、物語から受けた印象について語ることは自由は自由なので(色々限度はあるでしょうが)これもアリということで。


しかし、ニワカが過ぎていかんな。
これ以上考察を進めるためには、原作を買わねばかもしれない。


原作の炭治郎の目はキラキラが過ぎる。

そして、あの有名なシーン。

無惨に対し
「お前は存在してはいけない」
なんて本来なら絶対に言うてはならんのですよね。

基本は裁くな。
正当防衛でしか斬ってはならん。
物理でも精神でも言葉でも。

それが炭治郎に架せられたテーマなので。

禰豆子は本当は口が悪いので、猿轡をして言葉を封じています。
そういう修業。


ここまで読んで頂き、ありがとうございました。

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