アシュタールとは
ネットで見かけた書籍
アシュタール 宇宙の真実 77のディスクロージャー
というタイトルの書籍について書いたコンテンツを見かけまして。
スピ臭ぇ書籍ですね。
最初に見た時、「あつし」というワードに目玉が飛び出ました。
カグツチ!
カグツチじゃないか!
一体どうしてこんなことに。
血迷ったのか!
細かく調べていくと、彼はカグツチではありませんでした。
自らをカグツチであると思いこんでいる人間でした。
あつしとは、カグツチの諱なのですが。
例によってとうらぶに神降ろしされています。
厚藤四郎。
カグツチがこんなアホウなスピ臭いこと言う訳がないよな。
ということで、この本はスルー案件です。
サンプルのみ読みましたが、どうでもいいことしか書いてないもん。
著者の方には申し訳ないですけどね。
気が進まないですけど、この本はどういったものなのか書き出してみますね。
どぞよろ。
六次元垂子の内容
いつもの通りです。
リボーン・アクセント・オブ・フューチャー。
次元調整にて、六次元真理と四次元真理が大量に降って来やすい人というのは結構数存在します。
四次元真理を下ろす人は、実は社会貢献しやすい性質を持つのであまり問題ないのですが(まるで問題ないということはありません。確証を詰めるとなると、少しまごつきます)六次元真理なるものはわりと誰でも下ろせるのです。
大抵の人は六次元真理を垂子することが可能ですが、あまりにもスケールが壮大になるとちょっと危険です。
私の話はあまりにもぶっ飛んでいるように見えましょうが、垂子式ではないのでこれは少し違うんですけどね。
このアシュタールさんの本は、垂子式六次元真理情報となりますね。
ぶっちゃけると、普通のスピリチュアリストです。
破・常識 あつし という男性の方と、テレパシーが扱えるというミナミさんという方が組んで、宇宙のアシュタールとさくやという存在とチャネリングを行っている、という内容みたいですね。
アシュタールとは何者かというと、ヒルコです。
さくやはパートナーとして一時的に組んでいるらしいです。
コノハナサクヤとは無関係ですが、その流れの誰かかもしれません。
はぐれ御霊分け。
コノハナサクヤはこんなに長々とメッセージを送りませんし、そもそもこんなことを言いません。
性格は、めっちゃ「アステロイド・プラネタリウム」に出てくるはなびですから。
同じようなことを言うとすれば
「感覚ってそれぞれだから、自由に扱えばいいと思う」
それしか言わないですよ。
もっと詳細を詰めると、以下の四コマと同じことを言っております。
そして、スピリチュアリストなるものはやけに脳科学を信じ込むフシがあるのですよね。
右脳左脳とか私は心底どうでも良いと思っているのですが、何故かみんなハマります。
これを神理的に読み解くと、正峰の世界と反転の世界のどちらかの住人か分別の目安となるものだったらしいのですね。
右脳と左脳、どちらがいいとされているかは知らないです。
追いかけるのが面倒くさい。
つーか、脳は右も左も両方使うものなので、片方だけウンタラみたいのはなんだかな、と思っています。
なんだっていいだろ?
別にさ。
脳がなんだ?
ふっ飛ばせば死ぬね。
それが何?
脳みそは、豆腐よりも柔らかくてちょっとぶつけただけですぐに壊れてしまうものですよ。
そんなものに縋り続けなければならぬほど、貧弱な魂であると言いたいんですか?
脳科学は偶像崇拝に近いものだという認識でいます、私は。
日来神堂を出るか出ないか
やたらとピラミッドという言葉が人気ですよね。
この辺は、日来神堂について書いた記事が該当します。
光の神の導きによる支配というか…まあ支配そのものはしないんですけど、宇宙システムのことですね。
ここから出るか出まいか、という感覚。
そして、やたらとピラミッドを作りたがる人が後を絶たないこと。
そりゃそうでしょうね。
宇宙の実質的な支配者になれますんで。
シュリ・ヤントラとはまた別の認識です。
これも心底どうでも良い話です。
旧幽界・現波羅蜜浄土に行くのが嫌な人、というのは一定数います。
かといえば、旧霊界・現霊素慈に行くのも嫌だと。
霊界という呼称ではなくなった時点で、やる気を失ったそうです。
元・霊界という地からアブダクションされていった人たちです。
一応、幸福の科学の大川先生はアブダクション防止のお守りを販売していたそうですが、これがその真相だったのですね。
何故か、霊界という名前に固執し続ける人が一定数存在する。
退屈だ、つまらない地獄だと散々愚痴っておきながら、霊界霊界と寝ても覚めても同じことばかり。
もう霊界はないんだよ。
霊素慈になったよ。
彼らは情報弱者です。
過去の世界に執着するばかりで新システムについて行けない、頭の足りない人間です。
霊界型ゲシュタルトという状態は恥となりました。
この状態でいることそのものが恥ずかしいんですよ。
アプデができない、頭の硬い人間であるという意味なので。
クッソどうでもいい、宇宙の真実。
霊媒ヤーの私が言うのも難ですが、チャネリングで色々垣間見た結果、宇宙の真実なるものは心底どうでもいいものに感じられました。
投げやりとかでなくて、そんなことを識ったところで何になる?
というものです。
どうせ、理解も何もできっこないでしょ。
くだらねえ世論ごときで混乱するような脳みそB・B弾以下の存在が真実なるものを知ったところで、蹴っ飛ばして終わりですよ。
だから、今後の在り方としてシュリ・ヤントラ方式が採用されたのです。
理解可能な範囲。
それだけが大事。
あとは知らねーのよ。
冷たいことを言っているようですが、これが真理です。
分かりますか?
社会の動きなんて、所詮は飾りでしかないのよ。
そこに人生をかけるものいいけれど、基本は外してばかりなの。
クリスマスツリーの綿みたいなもの。
オーナメントは綺麗だけど、見るのは本来木でしょ?
木を見て森を見ず、になっているんですよ。
こういうスピっぽい本は、実は苦手です。
実はバカにするつもりで書きました。
バカにはしていないつもりですけど、くだらねえと思う気持ちは変わらないです。
カグツチなら、ドンタコスが好きな筈です。
好きでないなら偽物だよ。
それでは。