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マンデラ・エフェクト
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投影世界の曼荼羅
この世界はプラネタリウムに映し出された映像をツギハギに組み合わせたように曖昧で、確実なものは何一つ存在しません。
しかし、あらゆる事象は確かに目の前に存在しています。
それはまるで、万華鏡を覗いているかのよう。
三角形のカタチに組まれた合わせ鏡がちりめん張りの筒の中に収まり、中を覗くと鏡の底に仕込まれたビーズが幾重にも乱反射し合うことで夢幻の世界が広がって見えます。
同じような模様に巡り遭うことはあっても、全く同じ景色は二度と見れない。
これが、色です。
全てが消えては現れ、移り変わる世界。
一時期、マンデラ・エフェクトという言葉が流行りました。
私もその言葉に感化され、世界線の移動が本当にあるのかも…パラレルワールドへいつの間にか迷い込んでいるのかもしれない、と考えることはありました。
結論として、そういったことは有り得ないです。
ただ、肉眼に映る景色は万華鏡の世界のように同じようで違って、全く同じものをみていた筈なのに急に中身が変わってしまったかのように感じることはあります。
脳の錯覚といえばそうで、しかしそれだけでは収まらないのがマンデラ・エフェクト。
この記事は、マンデラについて気付いたことのまとめメモです。
お付き合いのほど、どうぞよろしくおねがいします。
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プラネタリウム。
言葉の響きからして非常に幻想的なイメージを彷彿とさせます。
星の射影機械だって。
どんなのだろう?
と幼少期、ワクワクしながらプラネタリウムに赴いた時、目にした巨大な機械を見て落胆しました。
「え、こんなゴツい機械がプラネタリウムなの?」
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キラキラした星のイメージを持っていたのに、一気に現実に引き戻された感じ。
ああ、投影って…そゆこと…。
と肩を落としました。
映画の原理ですね。
プラネタリウムのドームの中は機械特有の匂いがしますし、よく見ると裏方のスタッフがボタン操作をして巨大な機械を操っていますし、全く幻想的でないと思いました。
それが小学生の時ですね。
初めて夢が壊された瞬間。
そして、現実を知った瞬間でもありました。
プラネタリウムを夢や浪漫のように語る人もいるのにね。
あの投影機は、実は億単位もして物凄く高価なんですよね。
技術の結晶であり、映像をあれほどまでに広範囲に映し出すのは相当凄いことなのです。
ただね、星と触れ合うという宣伝とイメージが違うじゃないですか。
星の映像を見るだけなら、写真でも眺めていればいいですし。
父が天体マニアだったので、家に星の写真などが飾ってありましたし。
しょっちゅう自宅の望遠鏡で土星などを見ていましたので、そこまで新鮮味はなかったですし。
VRの仮想空間的なイメージを持っていたせいですね。
両手の中に星雲や星座のホログラムがフワッと現れて、星の瞬きを肌で感じるような想像をしていました。
あの機械がピンポイントで自分の手の中に小さな星の立体映像を映し出してくれるのかと思いきや、機械本体の動きは非常に緩慢で自由が効かず、上映中も「ウィ〜〜ン」という音が聞こえてくるような有り様で。
「あ、個人向けではなくて、大勢に向けた投影システムなのか…」
と帰りの車の中で考えました。
バーチャル・リアリティなんて概念は未だ自分の中に存在しませんでした。
そういえば、メガテンシリーズにバーチャル・バトラーがあったな。
しかし、その頃はまだ真・女神転生IIのソフトが手元にありませんでした。
プラネタリウムの原理は、小さな穴から差し込む光。
「実際の天体写真が利用されることもある」
と聞いたことがありますが、一体どうやって?と思います。
プラネタリウムを利用した映像映画、なかなか迫力があっていいです。
動きは少なく、初期のPCのムービーソフトに入っているエフェクト程度。
ズームとかウィンドとか。
私の記憶の中では、少なくともそんな感じ。
現在はどうなんでしょうね。
自宅用のプラネタリウムなども噂も聞きますが。
さて、ここからがマンデラ・エフェクトの話になります。
全ての動物は、視覚を使用して世界を見ています。
まず、光を感知します。
そして脳の受容体で光源を情報として処理をします。
受け取った映像を、眼球の水晶体を媒体とし網膜を通して視界として投影します。
奥行きなどの調整は、立体視の原理。
左右の眼球で距離感を調整します。
片目だけだと、距離感が掴めません。
どんなに訓練を積んでも、物体との適切な間合いが完全には測りきれずに空を掴むような仕草が出ます。
つまり、人間の視力の機構はプラネタリウムと同じ原理と言えます。
見落としが酷い人は、時折
「お前の目は節穴か!」
と叱られることもあるでしょう。
脳処理が上手く行っていないのと、急く気持ちが強すぎて視界がブレてモノがよく見えていないのと、集中力の欠如です。
眼球はただの投影機に過ぎませんので、眼球そのものを責め立てても何もならない、という。
白内障・緑内障・網膜変性症の患者様だったら笑えないですし。
全てが脳による投影映像。
脳が錯覚を起こせば、視界もブレます。
見当意識障害に陥ると、方向感覚を極端に失い混乱が日常になります。
そういう人は例え思考がしっかりしていたとしても、勘違いの連続により暴れたり怒ったりします。
幻覚を見ることもある。
脳がそのように思い込んでしまったら、どうにもなりません。
そうして、右も左もわからなくなってしまった人は「ボケちまったんだろう」と判断され、認知症などと診断されることもあります。
本当の意味で認知症ではないのですけどね。
脳血管型認知症は、とくにこれが顕著です。
併発しやすい。
レヴィ小体型は殆ど存在しません。
これは、霊が視える人がなります。
霊なんて存在しないのに、そういう風に見えてしまう、ということ。
幻覚です。
これも、認知症とは言えません。
記憶がすっぽり抜け落ちるアルツハイマー型認知症のみが、一般に知られる認知症であると言えます。
とはいえ、頭の中にモヤがかかったようになり、短期記憶が飛ぶくらいです。
それで、元の穏やかな性格が失われたりちょっとしたことで怒ったりする人は、元々の霊魂の気質がそうであった、ということになります。
「無茶苦茶な理論構築で怒っている」
よくあることですが、何を以て無茶苦茶と判断するかどうかです。
ただ、側にいる人が理解できないだけじゃないんですかね。
よく訊くと
「あの時の記憶とこの記憶がつなぎ合わされてしまって、勘違いをしているらしい」
と推測することが可能。
どのくらい、相手を慮れるかの試される大地となります。
意識を持つ我々。
そして誰かの意識を通した我々。
全く同じものを見ているのに、違うものに感じられる。
それが、マンデラ・エフェクトの正体です。
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そんなに違うものなのか?
マンデラ・エフェクトは記憶と違うことが起こる怪現象。
かなり変わって来ます。
例えば、私が結婚直前に読んだ萩尾望都作 バルバラ異界。
感動の結末( °∀Å)ホロリ
と思って記憶の底に沈めておいたのですが、何年かして読み直したら、何故か結末が変わっていたのですよ。
何度確認しても、最後はおどろおどろしい顔をして心臓を食う儀式のページ。
「ぞうさんのメリージェーンはどうなった?」
と全巻確認しましたが、目的の全然ゾウさんが出てこない。
それから暫くして、再読すると元の通りの内容に戻っていました。
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何故ぞうさんで泣いたのかは分かりませんが。
とにかく、メリージェーンが再び活躍することで、胸がジーンと打たれたのですよ。
感動のトリガーとなるものを分析するのは野暮というものです。
理由は分からないけれど、ハラリハラリと零れる涙。
エモとはそういうものです。
エモ感想は、おいといて。
なんでこうなるの?
マンデラ・エフェクトって存在したの?
その正体は、どうやら幽界からの意識の介入のようです。
何らかの相手に、そういう風に思い込まされているということ。
それは地球上には存在しない誰か。
意識なるものは、外部からの干渉で幾らでも変えられます。
しかし、自我は変えられません。
見えるものと聞こえるものが変わると、世界はまるで違うように感じてしまいます。
これがマンデラ・エフェクト。
恐ろしい勘違いの世界。
バルバラ異界は、カニバリズムと若返り、輪廻の記憶と異世界との行き来を描いたSF漫画です。
魂ってなんなの?
急に若返ると人格が変わるよね?
ていうか若返りって可能なの?
異世界で会った人は元気…だよね?あれ?
記憶ってなに?
輪廻って存在するの?
なんかね。ぼく人肉食べちゃったんさけどさ。
同じように人肉を食べたらしい子は若さを保ったみたいだけど?やっぱり老衰で死んじゃってさ。。。
異世界で出会った筈のゾウさんが現実世界に生まれて、若返りの研究に使われるんかなあ。。。
過去と未来、超えちゃった。。。
というお話。
恐らく、プラトンのプシュケー(心臓)から着想を得たものと思われます。
萩尾先生は百億の昼と千億の夜のコミカライズにて、プラトンの転生体のオリオナエとオリハルコンを描いていますが、その時に大量に資料を漁ってメモをされたのかと。
それについて暫く考えて、バルバラ異界を描くに至った、と。
ソクラテスからの流れのプシケーは、知の継続という考え方と思われますが、これはアカシック・レコードのΨ8を指しているのでしょう。
大元に叡智の雛形があり、我々はそれを追っているだけに過ぎない、と。
古代ギリシアの翻訳は解釈違いが多く、勘違いのオンパレードと思われますが、原本をちゃんと読むとそうなると思いますよ。
プシケーは思型です。
所詮はΨ7とΨ4だよね〜とも。
しかし、世の中には儀式主義に走る人が大勢おりますので、誤読の末に理論を飛躍させ、本当に心臓を喰えば力が得られると思い込んで実行に移してしまう人がおるのですね。
バルバラ異界ではアフリカの謎儀式ということになっていますが、西洋の某でも普通に行われていましたし、なんなら人類史は食人の歴史無しには語れない、また人類はカニバらなければ、ここまで進化・発展し得なかったと言い切ることも可能です。
元々人類はリカちゃん人形くらいのサイズでしたが、タンパク質を摂取することで体を大きくしてきました。
その時、食べたのが主に人体です。
特にハツ。
心臓部はよく食べられました。
他の部位は脂肪と水分が多くて食べられたものではなく、心臓くらいしかまともに食える部分がなかった。
筋肉質の関係で。
その原始の記憶が呼び醒まされたのでしょうね。
食べても全く無問題。
むしろ、体が大きくなります。
人体の成長限界は3mほど。
寿命はその分縮みますし、見た目も醜くはなりますが。
背を伸ばしたい人は焼き鳥や焼き肉を食べる時、ハツを多めに食べると良いですよ。
心臓部なら、何も人間でなくても良いのですね。
肉食なら、何も変わらんのですよ。
プリオンとか。
気の所為ですって。
狂牛病は、牛の共食いではなく農薬の影響ですので世に触れ回った情報は殆どデマ。
人間に感染りもしやせんし。
オリハルコンとは
ここで、オリハルコンとは何か。と。
一部ではヒヒイロカネとも言われているようですが、百億の昼と千億の夜では、時空を作るエネルギー体であるとされたと記憶しています。
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オリハルコンは閉鎖された熱エントロピーの世界を持っている。
そいつはすごいエネルギーなのだ。
もしここにオリハルコンがあれば、この格子を流れるマイナス・エネルギーのフィルター…蓋として使える。
フィルターが出来れば脱出できる。
アトランティスの子孫の住まう地域で、オリオナエとしての記憶を取り戻したプラトンは、住民からオリハルコンの欠片を受け取ります。
何千年もの間プラトンはオリオナエとして放浪し、シッタータと出会った街で、仲良くしていた子どもの遺体にオリハルコンを握らせて旅に出ます。
そして二人は阿修羅と合流し、転輪王とシに立ち向かう為に奮闘を続けます。
上記のコマのシーンで、阿修羅はシッタータとオリオナエとはぐれてしまいます。
二人はマイナスエネルギーに分解され、ディラックの海に還元されてしまったのですね。
このマイナスエネルギーとは文字通り虚数を表すものなんですが、量子を引いてくる要素、と解釈が可能。
ディラック定数の海とは、素粒子の前段階のソーマが溢れている場所ですね。
これで、無に帰すということはなくてですね。
オリオナエもシッタータも、個として認識を忘れるだけで再生はいくらでも可能です。
阿修羅は運良く生き残っただけで、シから逃げている限り、いつかは個としての認識を失うでしょう。
そうしたら、普通に輪廻転生をするだけになりますね。
この話の転輪王は、ちょっとお節介かもしれませんね。
物語に出てくる弥勒は、ただの像に過ぎません。
本体はシッタータの裏にいる。
神霊界の中枢の核心に迫ってみたが、思うように先に進めないぞ?
というお話です。
光瀬龍、すぎょい。
シとかいう委員会は、ヨハネのことですね。
そんなに単調というか、安易にくっつけていいんですか?
いいんです。
ドレミファソラシドのシですよ。
そして、シの正体はダレスですね。
4?
そう。
4次元です。
これも色々理論がありますが、それはまた後ほど。
そして、オリハルコンをヒヒイロカネとすると、エーテルとなります。
エーテル及びエーテルテンプレート。
プレートです。
オリオンプレートとかシリウスプレートとかプレアデスプレートとか。
数がいっぱい集まったもの。
地盤となるもの。
そして、アトランティスの民がこれを持っていたというのは、アトランティスの生活はとにかく恵まれていて幸せいっぱいで、エーテルを存分に使いこなせた、という現れでもあります。
その思形・意識がプレートになるほどに集まったのですね。
そんなに大事なものをプラトンに持たせたとは…。
ソクラテス・プラトン・アリストテレスの思想は全ての道に通ずる祖となるものでしたので、期待を受けて当然だったのかも、と推測が可能です。
マンデラとは
阿修羅 オリオナエ シッタータ の三人は、それぞれ違う人生を歩んできた、生まれた場所も住む場所も違う人間です。
物語の中では共通の認識を持つということになっていますが、それぞれ持っているマンデラ・曼荼羅が違います。
万華鏡世界。
自分だけの曼荼羅があり、それに沿った展開通りに量子は回転します。
これが、Ψ2 Ψ4 の正体です。
見慣れた景色に潜むイデア
思形通りに映る自分の世界。
いつだって君は監視されている
誰かしら見ていますよ。
幽界から。
クルクル野花結び合わせて
万華鏡写輪眼。
写し絵のように、身の回りにあるものをお手本とし世界とし、辿っていくのが生き物です。
まわる青色のカレイドスコープ
青の量子ドラムロールですね。
世界の量子展開確率は、誰にも変えられません。
無意識バイアス
自分の思形・思型。
阿頼耶識。
誰も知らない存在理由
未来を知る人なんて誰もいません。
生きている理由なんてのもありません。
繰り返し
思い描くスピログラフ
スピログラフとは、幾何学を描く定規です。
100均にも売ってます。
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破壊と創造の幾何学模様
BUILD&SCRAP
脈性の基本です。
打ち切りの先でまた会えるよ
ポプテピピックは漫画を打ち切られたことをネタにしていますが、百億の昼と千億の夜で考えると、目的半ばで道を断たれたオリオナエとシッタータですね。
ディラックの海に消えても、サイチェン可能。
パラレルワールド旅して
マンデラ・エフェクトのように勘違いの連続を払拭、の繰り返しで旅は続きます。
月日は百代の過客にして、行き交ふ年もまた旅人なり。
散りばめる願いに気付いて
お願い神様。
苦しいときの神頼み。
いつか誰かが、どうにかしてくれるっしょ。
他力本願。
世界をリメイク
上記の繰り返しで、世界はリメイクされていくのですね。
ポプテのアニメは、Aパートを一旦見てからBパートを視聴するのが正解ルートです。
最後のピピ美合成で、Aパートはキウイが出たのでラスボスを倒せませんでした。
Bパートでガチャし直し。
離脱!観賞用のフラワーアレンジメント
ミラーシステムは君を箱庭に閉じ込めた
ゆらゆらチェンバー
パラダイム・シフト!
キラキラの鏡ぶち壊して
新世界へ!
という訳で、ポプテピピックはnoosologyとめちゃくちゃ相性が良いので
「ポプテピピックで学ぶnoosology」
という本が書けそうだな。
と思ったりしました。
4コマを、観察子を駆使して解説する系。
しかし、元気がないので書きません。
それにしても、ぶくぶ氏はパチスロに魂を売らないんですね。
本編で1円パチンコのネタが出てきますし、モロだろ、と思って台が出ているかな?とググったけれど、見当たりませんでした。
クリエイターとしてのプライドを保っている模様。
どちらかというと、5chでパチカスを叩く側にいると思われるので。
それはいいですけど、マンデラ・エフェクトとは
アストラル・チャクラからの延長認識の迷子状態、と結論出来ることが可能ですね。
その時、本人の持つエーテルテンプレート(結構な頻度で移り変わります)によって、エーテル作用が微妙に違ってくるんですね。
そこに、メンタル・チャクラが乱高下して記憶として定着します。
故に、マンデラ・エフェクトは正しいとも言えるし、正しくないとも言える。
スピログラフで書いた幾何学は、スタート地点の穴が一つズレただけでまるで違う文様が出来ますよね。
これも回転質の一つですね。
それを、ベクトルのヒルベルト空間に現されただけ、という。
私はこの認識を脱したので
「マンデラ・エフェクトって勘違いだよねえ」
とはっきりと言い切ってしまいますが、まだ万華鏡の中にいる人にとっては重大な課題ですよね。
自分の世界線が定まらないよ〜(;´Д`)
世界線というのは、いつだって微妙に移り変わるものなのよ。
それが色蘊ってもんなの。
その程度でうろたえるなよな。
このくらいの認識でないと、惑いやすいですね。
誰かが嘘ついたとか、歴史の真実なんてのはどうでもいいの。
気持ち一つで決まってしまうし、思い込みの激しい人はそうだと思いこんだらテコでも動かないでしょ。
つまり、真実なんてものはないと同じなんですよ。
万華鏡の世界をスナップして、それだけを頼りに生きるようなものです。
そんなものに頼らない強固な自己と認識でないと、変幻の曼荼羅から脱することなんて無理だからね。
自分の目。
視界。
識蘊。
それだけですよ。
という、曖昧な記事でした。
ここまで読んで頂き、ありがとうございました。