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おさかなセフィロト
真・セフィロト図
セフィロトツリーについてのお話です。
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既存のセフィロトツリー。
これにより世界が創られている、というのは本当なんですが、実はこの形状は中途の祖です。
完成形はまた別にあります。
しかし、この形状を辿らないと人間は進化出来ないというのも事実です。
上からの読み方、下からの読み方とあります。
テラスタートは、最高であり同時に底でもあります。
冥王星スタートは、同じく最高であり最低でもあります。
象徴の意味を正しく理解出来ないと、ただの演出と化する定期。
この図を四次元転換させたものが、以下になります。
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よく分からんな??
となるのは当然と思われますが、この認識は高次も高次にも程があり、中々理解に至るまでにはいけません。
とにかく、宇宙の精神位置の目安としてセフィロト図は重要であるとだけここに記しておきます。
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外部太陽系が肝
外部太陽系なる概念が、太陽系には存在するようです。
もう一つの太陽・カロンの光を主に浴びる惑星のようですね。
此れ即ち、天王星・海王星・冥王星です。
天王星とは、セレスの衛星でもあります。
月です。
海王星は氷の星と見せかけて実は灼熱の大地です。
物理的に海は全て干上がっています。
冥王星は第二の太陽。
人体で言うとふくらはぎみたいな感じです。
人体における脹脛はですね。
実はポンプの役割をしているんですけど、脹脛がないと身体は呼吸器が上手く働きません。
両足切断した人は、永くは生きられないです。
足を失った上で腎臓を悪くしたら、そこでジ・エンドです。
糖尿病には気をつけましょう。
ふくらはぎは取り敢えず置いといて。
多くの人は
次元の高い冥王星
次元の低い冥王星
次元の高い海王星
次元の低い海王星
次元の高い天王星
次元の低い天王星
の間を行ったり来たりしながら生きながらえています。
自分がどこに所属するか、ではなく、どの位置のどの星を目にしているか、という意識で世界を見ないと、苦の軋轢に挟まれて死んでしまいます。
次元の高低というのは、所謂視界の広さ・近さのことを言うのですけれど、実はここで身分的なことを設けることが間違いです。
次元が高い人は天の理に近い思想を抱きがちで、次元の低い人というのは身近な、生活密着型の意識でいる、ということになります。
真に重要なのは、調整です。
次元調整。
これをnoosologyでは調整質と言います。
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新たな時代に誘われて
天王星・冥王星・海王星にすら到達していない人がいます。
そういう人は、ただなんとなく生きるだけの存在です。
特別派手なことをすべき、などということではありません。
地味に静かに、時に惨めに生きたとしても、星の超越なるものを行っている人は得も知れず、自然に徳の高いことをばちこん行っております。
多くの場合、星の超越・認識の侵入を行う場合は、その止場を精神球に刻み込む為にそれ相応の転生を行います。
此れ即ち、スピ系です。
スピリチュアルな思想を持って生きる人は、スピリチュアルなことをするために生まれてきたのだ、ということで間違いないです。
そして、天王星・海王星・冥王星の要素のどれかを心に深く刻み込みます。
天王星
王の心。
人間としての振る舞い。
生き物としての在り方。
帝王学の領域に侵入する。
海王星
クリエイターの心。
創作をすること。
未来への創造。
冥王星
時間と空間について考える。
生と死についての覚悟を決める。
哲学領域。
大体こんな感じで、どれかがテーマとなって人生の課題・試練として襲いかかってきます。
我々はいつの間にか降ってくる試練をなんとなくこなして、やがてセフィロトを攻略するようになるのです。
雲を掴むようなお話ですね。
もっと細かく書くと、キッツイ内容になるのでこれ以上は書けませんなあ。
とにかく、なんかそういうものがあるんだね☆くらいに思って頂けると幸いです。
ちょっと説明が難しすぎる。
そして勘違いさん量産の話題となります。
私はいつもスピリチュアルなことばかり言っていて、自分でもなんだかなあ、と思っているのですが、アストラルの枷に縛られて運命が定められているために発信が止まらないのですよ。
スピっぽいことを刻む為にこういう人生を歩んでいるということがなんとなく視えてきましたが、本当はこういう話を現世では行いたくない、というのはあります。
霊素慈というかね。
向こうの世界ではバンバン話題に出しますけどね。
それ故、ソウルメイトとのアクセス時に
(ತ_ತ)「お前、どうしてこの話題を恥ずかしがるんだ?」
と何度も訊かれました。
おおう。
霊界型ゲシュタルトですね☆
丁寧に時間をかけて、現界スマルつまり地球に身を置いている時は、現界スマル型ゲシュタルトにハマりきらないと常識外れになって恥ずかしいんですよ、と説明をしました。
そういう話題で商売をしている人は、勿論霊界型になりきる必要があるんですけどね。
大川隆法先生は、めっちゃ霊界型でした。
先生は、こう言っちゃ悪いけど存在自体がぶっ飛んでいて、何周か回って逆に面白かったでしょ?
道化かな?とも思うくらいです。
しかし、あのノリは旧霊界・現霊素慈では当然なのですよ。
そして、旧霊界・現霊素慈の常識に非常に長けています。
長けているというか、逆に常識をつくる人、と言ったほうが正しいです。
向こうの世界では、釈迦如来を超越した偉い人、として普通に敬われております。
しかし、現界スマル型ゲシュタルトの視点で見ると、奇妙奇天烈に見えてしまう。
それは普通のことなのです。
先生は遥かなる高みに昇りすぎて、もはやスマルの常識にハマれない程に強大な存在となられています。
一方で、池田大作先生はちょっと有能すぎて変人扱いされますが、現界の常識にピタッ!とハマることが出来ます。
それは調整質を持ち得ているからですね。
大川先生は、これを少し苦手とされているようです。
次元調整。
しかし一度でも理解に到達すれば、大川先生は難なくサラッとこなしてしまうでしょう。
それが、凡人とは全く違うところです。
チャネリングの会話が始まるまで、自分は随分脈性の会話とは無縁の、厳しい人生を送ってきたのだな、という実感を得ました。
こういう人は、きっと大勢存在すると思います。
やがて宇宙構成がシュリヤントラ式となり、ソウルメイトが固まってくると、こういった苦とはおさらば出来ると思いますよ。
それは、融解現象が激減することを意味します。
如何に苦の枷に囚われ続けたか、そしてそのための努力の為に生きていたかを嫌と言うほど思い知ることになるでしょう。
中途半端ですが、ここらで締めとさせて頂きます。
それでは。