超心点とピンクチャクラ
オコツトによれば
超心点とは
真実の人間の内面性
肉体とは超心点が変換されたもの
中心点と重心点の等化を作り出すのが超心点
超心点と垂心はカタチを作り出す方向性が逆
とあります。
超心点とは
オコツトの言う「〜の内面性」
生きている人間に内も外もあるのか?という疑問が湧きますね。
心身二元論を当てはめれば、内と外の概念が存在します。
ただ、デカルトによれば心身二元論とは
魂は天から受け取ったもの。
肉体は自由である。
という解釈(大意)になり「超心点とは魂である」という結論が導き出されてしまいますね。
この場合、デカルトの論は一部のみ誤りです。
ライルは心身二元論を「機械の中の幽霊」であるとして批判し、人間の霊魂は肉体と同一であり、またそうあるべきだとして、心身一如のアリストテレスの論を再評価しています。
普通はライルの論を採用しますよね。
基本的に霊魂なるものは科学的に証明が不可能であるため。
実際のところは、実体二元論であるとするのが正しいです。
この世界にはモノとココロという本質的に異なる独立した二つの実体があるとし、ここで言う実体とは他の何にも依らずそれだけで独立して存在しうるものの事を言う。
つまりは脳が無くとも心はある、とする考え方を表す。
ただ実体二元論という一つのはっきりとした理論があるわけではない。
この世界には、肉体や物質といった物理的実体とは別に、魂や霊魂、自我や精神、また時に意識、などと呼ばれる能動性を持った心的実体がある。
そして心的な機能の一部(例えば思考や判断など)は物質とは別のこの心的実体が担っている
しかし、生きていく上では心身一如の心で行動するのが健全であり、霊魂とは、死とは…と思考に耽るのはたまにでいい、とも言えます。
デカルトの場合、キリスト圏に身を置いて育った経験から「神の支配」に反発しつつも、諦観を得たことによるものと思われます。
生まれてこの方「自分は神の奴隷だ」とずっと囁かれて育ったらどうなるでしょう?
「神は望まぬ」
「神はこうあるべきとしている」
「だから言うことをききなさい」
はあ!?(# ゚Д゚)
となるのは普通ですよね。
何様じゃ、神とは!
そう。本来、神はそのように望んではいません。
人間は神の奴隷ではないし、勝手に神の名を持ち出して躾の名を借りた心身支配を受けるのは真っ平ごめんです。
デカルトは
「確かに、魂は神様から貰ったよ? でもね!僕の肉体は自由だから!誰にも縛られないんだよ!」
と、盗んだバイクで走り出す精神の持ち主だったのです。
キリスト圏は、この辺が非常に顕著です。
何かといえば、神 神 神。
物凄い抑圧の下で生きることが求められます。
洗脳ありきの目に見えぬ根拠なき支配の下、欧州圏は歴史を作り上げてきました。
故に、西洋の考え方は歪んでいます。
また、神への反発心から裏では性が非常に乱れています。
そのトラウマも酷い。
人間ですからね。
どうしてもそういったことは起きてしまう。
しかし抑圧された環境下では、痛ましい事件が減るどころか増えてしまいます。
デカルトもその被害者です。
つまり、哲学知識を根拠として引用する場合は、哲学者自身の人生を見て、どのような環境下で述べているのか、ということも考慮しないと、心身衰弱者の心からの叫び、下手すると精神障害者による妄言を盲信しかねない、ということになります。
更には複数の哲学者の思想を引用し、全てにおいて信用なるものを完全撤廃する必要もあります。
哲学論のディベートを行う場合
「この人がこう言っていた」
「しかし、一方ではそれは否定されている」
という会話は常ですよね。
それは非常に健全な在り方。
私は彼を支持する。
私は彼の唱えた思想を完全とは思わない。
そうやって「答えが出ない状態」を保持し続ける必要があるのです。
科学的な、明確な証明を得られぬ限りは。
しかしこれは現世の社会文明における「あくまでも憶測」の範囲の話であり、空から真実の情報が降ってきたらどうでしょう。
現代文明よりはるかに高度な科学力・技術力を持った存在から「幾度にも渡る検証の元、完全なる証明により確立された情報」を得ることが出来たら。
それが、オコツト文書でした。
オコツトの言葉は、真実の情報であったのですね。
妄想や推測などではなく。
現在の分析には多少の憶測成分が混ざってしまってはいますが、それは現界人間型ゲシュタルトの宿命と言えるでしょう。
つまり、本来ならデカルトやライルの言葉を借りることはせず、オコツトの言葉を信じないと間違った分析を続けることになる、となります。
しかし、オコツト文書は抜けが多い。
私がオコツト本人に訊ねたところ
「もっといろいろ話していたのですが…」
という回答を得られます。
全てをメモしきれなかった。
断片的な情報。
そこを、現世の憶測で埋めている。
通信が途絶えてしまったからですね。
1994年まで続いた交信。
更に、影で2016年まで思想誘導が行われていた。
大体合っているんですけど、隙間隙間に微妙にズレが生じています。
しかし、殆どは正解です。
noosらしんばん は微妙な誤解部分に対し、再びオコツト回答の下ろし直しをしようとしていたらしいです。
私の意志ではなく天の介入ですが、こう書くと傲慢に見えてしまいますよね。
霊媒も霊魂も、現代文明では証明しようがありませんので。
という、残念な認識を踏まえた上で、今回のテーマは超心点です。
単刀直入な答え
真実の人間の内面性としての超心点。
これは理性を現します。
大脳新皮質の働きそのものが超心点と言えます。
真実の人間の外面性とは中性質であり、この場合の中性質は地球環境に馴染む肉体そのものを現します。
現世の転生体・肉体のこと。
霊体は、現世の世界に直接的に介入が出来ません。
ヒトの総体と超心点の関係はダイジョウシンである。
ダイジョウシンとは、大乗心と書きます。
つまり、肉体の殆どは超心点であるという意味です。
大乗仏教・小乗仏教の感覚で捉えてください。
広い意味。
更に言うと、乗数が大きいという意味。
三千世界全体から見て、規模が大きいことを意味します。
肉体とは超心点に変換されたもの。
超心点の持つ点質によって、肉体が実存可能であるという意味です。
地球全体に存在する素粒子から肉体は形成されていますが、両親の交配により生まれ落ちる、その経緯はどう見ても霊界からの介入があるとは思えませんね。
ところが、霊魂は幽界からの介入です。
タキオン結合した意識体ことソマチッドの塊であると同時に、肉体の遺伝子情報に働きかけるエーテル・アストラルテンプレートを所持しています。
故に、内面性の介入が存在し、結果的に「変換された」と言う事が可能なのです。
中心点と重心点を等化を作り出すのが超心点。
中心点とは、自我そのものです。
自己という回転質の中心。
重心点とは、三千世界全体の回転を生み出す意識のことです。
現在はシリウスとなっていますが、当時は違いました。
ぶっちゃけると、大日如来ですね。
この2つの要素を上手く「馴染ませる」働きを持つのが超心点です。
等化そのものは垂心であるとするのは、肉体と霊魂の融合を現しています。
霊魂はnoos ノウスの働きにより発生しています。
肉体はnos ノスの働きにより活動しています。
カタチが交差する方向性が逆というのは、ノウスは現世に向けた動き。ノスは幽界・霊界に向けた動きをする、という意味です。
大脳新皮質の働きそのものが超心点。
本能と理性がここで出てきます。
本能は、感性。
理性は思型です。
このようなやり取りが存在したらしいですが、現世に存在する思想の多くは、九割方感性により作り出されていったと言っても過言ではないため、感性が作る、と答えているのですね。
実際は、思型より思形が作り出すことが望ましいです。
しかし、思形に思形を重ねて作り上げる脈性理論は、一つカケガネを間違えるととんでもない方向に転がっていってしまいます。
そして誤解の上に誤解が重なり、恐ろしい迄に誤った認識が生まれ出てしまうという懸念から、感性が作る、つまり脈性に至らず「タキオンビーズ」の思形の状態のままであることが健全な在り方とも言えるのです。
とにかくオコツトは細かい。
曖昧であることを許しません。
人類はこの曖昧さに救われる部分もあるのですが、本来これらは許されることではないのです。
勘違い、絶許。
幽界・霊界にある6次元の神様学校では、この細かさを学びます。
大学の専門性の高い授業といいますか。
それよりも遥かに細かく、あらゆる分野が微細にカテゴリー分けされています。
それは、ここでは積み上げることが不可能な4次元の理論が、向こうでは確実に証明・実存・再現が可能だからです。
全てにおいて、曖昧ではない。
断片的な情報は、スマルに大量に点在しています。
それを丁寧に拾い集めて、アカシック・レコードに登録された
「幾億回も検証された事実」
通りに組み立てることが出来れば、わざわざ死後の世界で学ぶこともないです。
しかし、普通はそれが出来ない。
なぜなら、ここでは感性理論が良しとされているため。
気持ち一つ、思想の偏りで、全く論理的でなくても理論構築がされてしまうからですね。
実は、それこそが人類の罪です。
とは言っても、誰がそれを証明しますか、ということになるので、こういったことも罪ではないとされています。
人類は意志を持つことそのものが罪となるのか、ともなるので、この罪に関する話は無かったことにすべきなのですね。
新 チャクラ表
解析が進んだ事により、新しいチャクラを発見しました。
ご査収ください。
チャクラは全部で11存在しました(2024年現在)
第0チャクラ
会陽
第1チャクラ
エーテル
第2チャクラ
エモーショナル
第3チャクラ
メンタル
第4チャクラ
アストラル
第5チャクラ
エーテル・テンプレート
第6チャクラ
セレスティアル
第7チャクラ
ケセリック・テンプレート
第8チャクラ
ハリン・マリン
第9チャクラ
ピンク・リンク
第10チャクラ
百会
超心点とは、第9チャクラのピンク・リンクとなります。
エーテル
エモーショナル
メンタル
の補助となるチャクラです。
同じく超心点と同じと思われていた第8チャクラのハリン・マリンですが、こちらはウルトラ心点として扱う方が適切と思いますね。
ウルトラの当て字ってなんだろう?
極超心点ですかね。
エーテル・テンプレート
セレスティアル
ケセリック・テンプレート
の補助となります。
ちょっと調べると、全身にあるツボを刺激することによってチャクラを整える、というものが出てきますが、これらは誤りです。
全身のツボを押したとて、内面性で回転するチャクラを整えることが出来ません。
身心一如は、そういうことではありません。
また、第7をクラウンチャクラとして扱っているところもあるようですが、全く違いますね。
こういった方は、恐らくチャクラについて学ぼうとして師範になる方に教わろうとした時に「私の考え、勝手に持っていかないで」とキツく言われたことで、敢えて違う言い方をして「真似をしていないアピール」をされているのだと思われます。
第7チャクラを脳天の百会としてツボを刺激すると、脳細胞が通常の3000倍の速さで死滅します。
ボケやすくなるということ。
残念なキツい人に合わせて生きる必要はないですね。
ツボ押しは、頭以外に行います。
そして、チャクラが整うことはないです。
虚偽の販売文句で商売を行うといつか摘発されますので、辞めたほうがいいですよ。
基本的に、チャクラなる概念は存在しないというスタンスでいます。
なぜなら、科学的に証明できないから。
メンタルの強さは誰が測りますか?
最近、つよつよメンタルの新人なるワードが流行っていますが、そういう方は強がっているか無謀であるかなので、メンタルが強いとは言い切れません。
強気≠強靭なメンタル
不良が肩を揺らして歩いてイキっているのと同じです。
いつか彼ら・彼女らは外圧に負けて、心が折れて潰れると思います。
他者を焚き付けて間接的に憂さを晴らすのは、決して褒められた精神ではないですね。
チャクラは目に見えない心の回転です。
肉体をどんなに解析しても、チャクラなるものは出てきません。
精神論の一つですからね。
全てをむりやり物理で考えてしまう人には、過ぎた玩具だと思います。
超心点についてでした。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
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