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洗礼の記


あとのまつり


レ・オ・ゲートの、後半戦 オの部が始まったようですが、何かがおかしい。
サイコ・メテシーの歪が見られません。


そこで、十二星座の扉が立ち並ぶ天阿吽門を少しばかり覗いてみましたが、ゲートはなんと完全に閉じられておりました。

え?
25日まで、すこーしだけ開いていたよね?
どうしたん???


こういう時は、護摩です。
護摩しかない。

これは素晴らしい護摩の行。
動画を見ているだけで、香木に清められるような気がします。


私はこれと言って特定の宗教のみを特別視することはないです。

全てが全て重要にして意味のあることとして、その真髄領域に近づこうと日々精進の理でおります。



さて。
ライオンズ・ゲート関連でおりてきたことについて少々。



どうぞよろしく。


かつての記憶



ふとした瞬間に、ソウルメイト集団のボスから洗礼を受けた過去を思い出しました。

随分昔に、私はキリストの洗礼を受けていたのですね。
今の人生ではない、過去の人生です。


ボス)「俺が洗礼したことを覚えていないのか」

kakao)「思い出した…」


リヒテンシュタインの小さな教会で、ひっそりと額を浄められた記憶が一瞬だけ思い起こされます。

洗礼名は、ニコラウス でした。


洗礼という行為は、実は心の中に十字架を立てる為に非常に重要です。
目に見えないが、しかしその後の世界でずっと洗礼の効果が引き継がれていきます。


キリスト教を追っていくと不可思議な儀式を大量に目にする為、失礼ながら
「これは意味があることなのか?」
などと実利主義に走ってしまうことも多いのですが、きちんとした意味があったようです。


しかして、私は白隠禅師に洗礼を受けていない事実を指摘しました。
白隠禅師はうなだれ、洗礼を強く希望されました。

しかし、彼の洗礼名は変わらずに白隠禅師でした。

その名のままに、洗礼という神秘のヴェールにて書き換えをするのだね。



そもそも心に十字架を立てるとは何か。

それは神性領域への侵入もそうなのですが、精神的鍛錬のきっかけとなる意識の発生点を言います。


これはあくまでも例え話になるのですが、人間の感情は物質に例えると水となります。

心の中にコップを置いて、溢れ出る感情の水を常にコップの中に溜めながら、我々は生を営み続けているのです。

いつかの世で洗礼を受けると、なんとこの心のコップに切子細工を入れることが可能となるのです。


ちょっと欲しいと思っていた薩摩切子


質素な透明ガラスだった心のコップに、徐々に十字架の切子が刻まれていき、やがて見事な心の器が完成していくのですね。

実際の切子細工はガラスが熱を持った柔らかい状態の内に傷を入れていくものなのですが、そこは例え話ということで流してください。


十字を切るという行為は実は痛みを伴うものなのですが、洗礼を受けることによって少しずつ困難を乗り越えることが可能となり(一朝一夕でどうにかなるものではありませんが)やがてヒトとしての器がどんどん磨かれていくようになります。


そういったことを、徐々に垣間見たということで。




世界アセンション!



先日、霊界と幽界の呼称を光の世界の神に新しく付けて頂くということを書きましたが、その報告です。


現霊界は、霊素慈れいそじと呼ばれるようになるそうです。

そして現幽界は、波羅蜜浄土はらみつじょうどだそうですよ。

字の如くです。

旧霊界は、霊素・物質の大元となる場所で名前のままです。

幽界こそ最上の極楽浄土となります。

しかして、元々の言葉のイメージが悪すぎたようですのでね。

今後は上記のように書くことにしますね。


呼び方くらいでなんだよな、と私は思いますが、やたらと縁起を気にする人というのはどこにでもいます。

亀有とかね。

亀梨でええやん、と思いますが、無いより有る方がいいとかで。

無い方が良い場合もある、とかいうのを考えたりしないんですね。
しかも、梨を無しなどに転じたら、今度は梨に失礼でしょ。


しかし、そういうものではないらしいので、えらい人たちが相談して決定したみたいです。

これ以上の言及は、今度は名付けに携わった大作先生や榮さんに失礼になりますので、控えるべきですね。

霊素慈、波羅蜜浄土。


全ての霊魂は、死後はどちらかに赴きますよ。

波羅蜜浄土を通り越して、すぐに霊素慈転生してしまう方もいらっしゃいます。


どうぞよろしく。



夏の書き換え


宗教真光について調査を続けてきましたが、8月の神歌みうたは毎年固定である、という特徴があることを覚えました。
知る人ぞ知るです。

夏の感謝。


わざわざ夏に感謝する必要があるのか、と言えば

光玉氏)「わしもしらん」

とのことでした。


そうなんだ…。

年に一回くらい、神歌みうたの頁指定をサボる月があってもいいよね。
脳死でそのままスムーズに事が進むのであろう。

上層部も毎月大変だろうな。
どうやって決めているんだろう。

訊いたところによると、超適当に頁を開いて決定づけているとか。


ま、それでいいのでしょう。
ちな、夏に冷たいものを食べても大丈夫です。



夏の意識の書き換えに、豊受大神の好みの歌が降ってきました。
そして、イザナギの娘の歌も。

キンモクセイのSUMMER MUSIC には豊受大神の趣味が詰まっているそうです。

しかし、この歌のリリースは2005年らしいんですね。

にも関わらず、最初に聞いた時
「昭和かよ」
と思いました。

懐かしの80年代くらいの雰囲気じゃないですか?

しっぶい趣味してんなあ、と。


どうやら豊受大神は親父趣味らしいです。
艦隊とか好きなんですって。
大東亜戦争のDVDなどを観るのが好きとか言ってますね。

女の子ですよ?
あんなつまんなそうな、重厚しか取り柄がないような重苦しく哀しみしかない世界を垣間見て、何のつもりかな…。


豊受)「この時代はトラウマなんだ。みんなが飢えて…」


それを聞いて、私は少し言い過ぎたと反省しました。
豊受大神は、受け、つまり食糧の神様です。


WW2の時代、飢饉などが重なった為に国内の食糧事情は酷いものでした。


お米を殆ど軍に取り上げられて、国民は雑草や糠などを食べて凌ぎました。
資料ではあまり見られませんが、糠はかなり重要な食糧でした。
かぼちゃなどを食べた、という話は残っていますけどね。
乾パンを水にふやかしたとか。


糠を食うと腸内細菌叢が爆発的に増えて健康にはなりますが、やはりさもしいです。
フィチン酸も多く、栄養が流れて流れて。
しかし他に食うものが無かったので仕方なく、と言います。


戦後の高度経済成長期は未だ食糧に難があり、80年代頃にようやく食糧事情が完全と言える程に改善された、と言います。


そんなに最近なんですね。

それまで、極貧生活を強いられていた人が人知れず存在していたということか…。
いえ、ホームレス、物乞いが多くて、と。

現在も明日のパンに困る人が存在しますけれど、当時と比べると全く違うといいます。

豊受)「服があるじゃない?服すらない時はどうしたと思う?隠れて川の水を飲んで、雑草を喰むしかなくて。しかしホームレスが摘発されて、徐々に居場所が失われていった。あの、福一の原発事故の処理に多くのホームレスが駆り出されたけど、実は人救いだったんだ。事故は良くないけど。作業員になれば、寮もあって食事も出て。」

ホームレスの摘発は治安悪化を懸念するとそれは仕方のないことですが、全ての人に明日のパンの心配が生じない世界が来るのはまだまだ遠いようです。

フクイチの事故処理には多くの有志が駆り出されました。
その多くが、豊受大神の転生体だったといいます。


豊受)「夏は好きだよ。野宿でも寒くない」


なんて人生を送ってきたんだ…。
豊受大神の名は、伊達じゃないですね。




一方で、イザナギの娘の歌。


この歌の内容がナギの仕事の全てです。

穏やかな時を、止めたようにする。


ナギは世界量子として消え去りましたので、代わりに娘が活躍します。



夏は、何かしらの意識を書き換えせよ、ということなのかな。

感謝したり、チャコとミーコを悔しがらせたり、幻よ醒めないでと願ったり。



ライオンズゲートが教えてくれたこと。
百獣の王の名において、世界は徐々に洗礼されていくのでしょう。


それでは。

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