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不毛なトロッコ問題


たられば は辞めろっつったろ!


たられば とは
「〜だったらどうする?」
という仮定を前提とした問い、その姿勢を意味します。



前提として有り得ない問題は嫌いなんですよね。
例えば、有名なコレ。

カプセル四択


はあ?
ありえねーこといってんじゃねえYO!!

とか言いつつ、赤にします。
余生はゆっくり過ごしたいわ。

でも、みんなが預金残高50億を選んだら一気にインフレ化するから意味ないわな。

やはり不毛ですね。
頭の体操というか、意識の呼び覚ましの練習と言った感じ。

ある程度年齢を重ねると、こういった話題は現実離れした会話であるという認識を抱くため、辟易する人が出てきます。
小学生レベルの話題。
空想ごっこの延長線。
つまり幼稚なんですわ。


その幼稚な発想の代名詞の一つ、トロッコ問題をまた取り扱いますね。

過去記事に、トロッコ問題の正体について書きました。

冥界くぐりをした時に、誰しも通らねばならぬ試練。
というのが答え。


wikiより


ありえんのよ。
危険予測及び整備不足であるとして、こういった危険な状況そのものが存在してはならないのです。

古代の認識かな?
しかし古代にトロッコは存在しませんでした。

現代認識で考えると
「有り得ないから、この話題を辞めろ」
でファイナルアンサーですわ。


しかし、こういう不毛なことを考えては
「あたしならこうする」
「ぼくならこうだ」
と議論を行う人は後を断ちません。

結構数の人間に好まれているみたいですよ。


この世界は、思形つまり想いのカタチが顕在化するように出来ておりますので、有り得ない話題でも多くの人間に支持されればいつかその状況が再現されるようになっております。

もちろん、今すぐではないですよ。
何千何億という時間の経過の先に、突然ポッと現れるのです。

だから、滅多なことは言うものではないんですけどね。


そうやって、トロッコ問題は冥界にて実存が可能となりました。

夢の世界、つまり精神宇宙次元の中のみですけど。


そして顕在化はしたはしましたけれど、どうやらトロッコ問題の状況には思いもよらぬ深い象徴としての意味があったそうなのです。

という訳で、それをここに書き留めてみようと思います。

よろしくどうぞ。





真・トロッコ伝説



私が冥界くぐりをした時、トロッコ問題は以下のようになっておりました。


こりゃまた雑なイラストですこと


  1. トロッコに乗る人

  2. 分岐器を操作する人

  3. 轢かれる一人

  4. 轢かれる五人

  5. 分岐点の真ん前に座る人


いや、レッツ トロッコ なんて軽いノリで話すことじゃないんですけどね。


上記の立ち位置で、現世での自己のスタンスが分かる、という仕組み。

毎回轢かれる人もいれば、分岐器をガチャガチャするだけの人もおります。
トロッコに乗りっぱなしの人も。


轢かれたら嫌ですし、轢くのも後味が悪い。
分岐器の操作も同じく。
分岐点の真ん前に座るのも怖いです。
首が飛ぶかと思いました。
(え?そこだったの?)


冥界くぐりは大勢で行うものであるため、ある種のソウルメイト間の関係性が絡んできます。

つまり、ここで恨みをはらす人も出てくるってことです。
トロッコで轢いたり、分岐器を変えたりして。


轢かれる人は、現世で敵を作ってしまった人。
轢く人は、途方もない恨みを抱いている人。
ネットで集中砲火の猛叩きなどをされると、トロッコに乗る確率が高くなります。

顔も知らぬ、名も知らぬ、しかし殺意を抱いた経験のある相手を、猛スピードのトロッコに乗って轢き殺すのですね。
(擬似的に、ですが)

冥界くぐりは、そのように人生の答え合わせ的な意味合いを持つようです。


怖いですか?
それともスカッとしますか?

夢の中とはいえ、そういった深層心理の願望が具現化してしまうのです。
それが冥界。


今回は、更にその先の認識についてです。





世界を創るのは自分自身



これは、トロッコ問題を超越した人にのみ理解に至ることが出来る、極微次元のお話です。


トロッコ問題の正解の位置は…。


これは辞めときましょうね。
答えは想像が付くと思いますが。


冥界を越えた先で、しばらくして再びトロッコ問題が現れます。

ちょ…(;^∀^)
世界よ…。
どんだけトロッコが好きなんですか、というね。


もう私は辟易よ。

しかし、世代が変わって時代が変化しても何故かトロッコ問題は浮上します。
人類は、トロッコからは逃げられないみたいです。


高次トロッコ問題では、なんとトロッコ問題に出てくる人物は全て自分に変化します。


  1. トロッコに乗る人

  2. 分岐器を操作する人

  3. 轢かれる一人

  4. 轢かれる五人

  5. 分岐点の真ん前に座る人


これが全て自分になります。
自分が乗るトロッコに自分が轢かれるという。


えー?
なにそれ。
因果応報は自分に返ってくるってこと?

と思ってしまいますけどね。

ちょっと違うみたいです。


トロッコの動きは、自己認識の動きそのものに置き換わるみたいです。


つまり、感情のブレーキをかけられるかどうか、という問題にすり替わる。


自分の意識を乗せた、自我というエネルギー体。
その影響力や攻撃性が、進行として現れます。


止められるか、止められないか。
実は分岐器に停止ストッパーが下部に小さくついているんですけどね。
冷静でいられないと、それに気付かないか忘れるかします。


轢く人数は、一人を傷つけるか、大勢を傷つけるかの分岐。

あなたの行動で、どれだけの人が心を痛めるか、という意味になります。

一人を傷つけるのも、大勢を傷つけるのも、哀しみや苦しみは変わりません。


何もせず、何も出来ず、感情エネルギーを載せたトロッコが通り過ぎるのを目の当たりにするのも、精神的にちょっとキツいです。
後味が悪い。


どうすれば正解なの?

それはもう、本気出して考えるしかありません。



そんなんしらねーよ、という人にはますます不毛に感じますよね。


これが、高次元の世界の認識というものです。

くっそめんどくさい、細々とした認識や言葉遣いや作法を事細やかに学び、行動に移さねばならぬ次元。

よく、高次の人間ってどんなの?
と思う人も多いですけどね。

こういった世界です。


面倒でしょう?
投げ出したくなるでしょう?

この覚悟がない人は、霊界に足を踏み入れることなんて到底無理なんですよ。

喧嘩なんかしない世界。
する必要もない。
それは、住人の全てが細心の注意を払って気を使いあっているからです。
無神経とか憐憫とか、絶対に許されない。


お金だとか学問だとか、そういうお話じゃないんですよ。
更にその先の、精神的な鍛錬の世界です。


あまり霊界に夢をみるのは辞めた方がいいですよ。
仕事人間だけが行く場所です。

ただただ平和に遊んで暮らしたい人は、幽界の黄金郷に向かうべきです。

こういった厳しい認識の一切が取り払われた場所ですので。


トロッコについての、うんざりするようなメモでした。

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

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