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【登山記】豪雨の孤島、ひとりぼっちの山頂と歩ける喜び
「あなたは『歩けること』に感謝したことがありますか?」
ぼくはなかった。歩くことなんて当たり前。むしろ、考えたことさえなかった。
でも、幸せとは失って初めて気づくものだと言う。そしてそれは、『歩けなくなる』ことで強烈に実感することになる。
今回は、そんなぼくが『歩ける喜び』に気づいた、ある山の話をしたい。
年越し雪山登山を経て、ぼくはますます登山にのめり込んでいった。
厳冬期の北アルプスや関東遠征、そして登山教室への参加。知識や経験を積み、ぼくは次なる挑戦として鹿児島の開聞岳と屋久島の宮之浦岳を目指すことを決めた。
冬山を経験したぼくだったが、実はテント泊というのは涸沢の紅葉を見たくらいで、使用したのはたった1回である。経験は不足していた。
そして、パーティ登山に慣れたぼくにとって、ひとりで山に向き合う時間が必要だと感じていたのだ。
登山計画
今回登るのは、ぼく一人だ。
登るのは、鹿児島県にある開聞岳と屋久島にある宮之浦岳とした。
開聞岳はともかく、鹿児島の屋久島に行くなら、少なくとも2泊は必要である。
移動日を含めると4日は必要だ。ダメ元で上司に連休を取れないか交渉したが、「ふざけんな」と言われる始末。
それどころか「怪我して仕事できなくなったらどうするんだ?登山なんてやるんじゃないぞ」とまで言われた。
ぼくが山に登りたい気持ちはますます強くなった。
季節は春、次のチャンスはゴールデンウイークくらいしか思いつかなかった。
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アクセスは飛行機一択。年末から雪山登山道具を買ったために金欠なぼくは、迷いなくLCC(低価格の航空会社)を選択した。
これが後に悲劇を生むことになる
前日:波乱の予感
前日夜、航空会社から突然、1通のメールが届いた。
こんな時間になんだろうと思い開いてみると、「お客様の搭乗予定の便はなくなりました」との知らせ。
ぼくは驚いた。天気は快晴、なぜと狼狽した。
調べてみると、他の時間帯の鹿児島への飛行機は飛んでいる。ピンポイントでぼくの予約した便だけが飛ばないのだ。どうやら、パイロットのストライキらしい。
ぼくは知らなかった。LCCはパイロットの人数を減らして価格を抑えているので、運が悪いと飛行機が飛ばなくなることを
1日目の宿泊施設に電話する。前日なので、キャンセル料100%とのことだ。仕方ない。キレ気味の旅館店主には罪はない。ぼくはため息を吐いた。
ゴールデンウィークだからか、当日の他の便はすべて満員。結局、鹿児島へと出発できるのは翌日とのことだった。
日にちが1日遅れるので、当初予定していた高速船での屋久島アクセスは無理だ。夜発のフェリーで早朝に着くしかない。
この時点で、僕の計画はすでに綻び始めていた。
1日目:名古屋⇒鹿児島(開聞岳)
だいぶ遅れたが、ようやく鹿児島に到着。1日遅れとなったため、今日は必ず開聞岳に登る必要がある。
鹿児島中央駅ではさいごう丼を頂いた。時間がなかったので、早食いだ。できることなら次行くときはゆっくり食べたい。
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写真そのまま、早朝に起きたぼくははらぺこだった。次の電車の時間に余裕で間に合うくらい、ぺろりと食べてしまった。
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電車で鹿児島の果てへと行くと再南端の開聞駅へとたどり着く。記念写真を撮るためにやってきた鉄道好きも目に入った。
どうやらこの電車で登山客はぼくだけだったらしい。ぼくはいそいそと登山口である「かいもん山嶺ふれあい公園へと向かった」
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目の前に開聞岳が迫ってくる。独立した山だから迫力がとてもある。薩摩富士として地元民にも愛されている山だ。
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キャンプ場受付をして軽装で登り始める。山道には子連れ家族が多く見られた。危険箇所も少ない登りやすい山だ。
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5合目を過ぎると雲行きが怪しくなってきた。予報では雨は夜来る予定であったが、間に合わないかもしれない。
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山頂は真っ白だった。本来なら景色の良い山だから、とても悔しい。
ぼくはまたリベンジしてやると誓ったのだった。
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今日は開聞岳の前のキャンプ場でテントを張って眠る。近くの農協で夕食を調達する。
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広いキャンプ場にはちらほらとテントが増え始めていた。ぼくは風の音を聞きながら眠りについたのだった。
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2日目:鹿児島(開聞岳)⇒指宿⇒鹿児島中央⇒屋久島(安房港)
二日目は移動日だ。フェリーが夕方の時間しか間に合わないので、指宿で砂風呂を楽しみ、ゆっくり向かった。
指宿はいぶすき→イーブイ好きと語呂合わせでイーブイスポットがたくさんあった。
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フェリーは最安の乗合の便を選んだ。
イメージとしては漁船の空き部屋を貸してもらうような雰囲気であった。
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雑魚寝する窮屈な部屋と数人分しかない毛布、他の乗客と話してみたが、ほとんどは種子島が実家で帰省するという人であった。種子島は夜のうちに到着する。
朝屋久島に到着するまで乗るのはかなり少ないようだ。
自販機でカップラーメンを食べて腹を満たし眠る。昨日は風が強くてあまり眠れなかったから、すぐに眠りにつけた。
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3日目:屋久島(安房港)⇒宮之浦岳(淀川小屋)
早朝、港に着いた。屋久島は雨に包まれている。
今回は微妙なモバイルバッテリーしか持っておらず、スマホも常に電池20%だったので、宿の予約ができていない。
1日目はテント泊で野外だったし、2日目もフェリー泊で十分な充電ができなかったのだ。
出発日がずれたことで、一度予約した宿はキャンセルしていたから、まずは観光案内所で今日の宿を探すことから始めた。
早朝から空いている店も見当たらず、ただぶらぶらと辺りを散策した。
観光案内所をめぐり、宿の情報を聞いても、ゴールデンウィークだからどこも開いていないとのこと。ぼくは離島の宿事情をなめていたのだ。
泊まる場所がない、どうしよう。困ったぼくは、どうせ明日には宮之浦岳に登る予定だったのだから、今日、淀川小屋に行こうと判断した。
淀川小屋は無人の避難小屋で予約なしに泊まることができる。今回はテントも寝袋も持ってきているので、混雑していても外で泊まれると思ったのだ。
バスで付近のバス停から歩き、宮之浦岳へと入った。
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大きな屋久杉が立ち並ぶ森の中へと入っていく。
雨はますます強くなっている。
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レインウェアで蒸れて濡れているのか、雨が入ってしまったのかも分からない。ザックカバーをかけているが、荷物が濡れていないか気になった。
淀川小屋に到着した。中には誰もいなかった。
それもそのはず、今はまだ午前の早い時間だ。昨晩泊まった人は出発しただろうし、今日泊まる人はもう少し後に来るだろう。
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レインウェアを脱いで吊るしておく。この雨では乾くとは思えないが、少しでも乾かしておきたかった。
そしてザックを空けてうわっと声をあげた。着替えが全部濡れていたのだ。
ザックカバーは肩部分が開いているので、雨が強すぎるとどうしても水が入るのだ。(この体験をもとに着替えはドライザックに入れるようになった)
さきほどまで歩いていた間は暑かったのに、急に寒さを感じ始めた。
寝袋の中に保温用のエスケープビビィを敷き、中に入った。
宮之浦岳は荒川登山口へと歩く予定だ。今出発すると、最終便のバスには間に合わない。出発するなら1日後の朝でないとダメだ。
雨が強く降っている。小屋の前はまるで川のようで、水場がどこか判別できないほどだった。事前に写真で見た景色とはまるで違っているように見える。
この小屋で丸1日過ごさなければならない。まずは食事だ。
ぼくはフリーズドライのリゾットを取り出し、雨水を沸かして注いだ。
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温かいごはんは、心を楽にしてくれる。
今回はKINDLEを持ってきているので、あとは読書をすることにした。
お昼を過ぎると、登山者がちらほらと小屋に集まり始めて来た。
ぼくは暇すぎることもあり、はじから声をかけて話をした。
ほとんどの人は荒川登山口から登り、この小屋に泊まる。明日は下山するという人が大半であった。
4日目:淀川小屋~宮之浦岳~縄文杉~屋久島市外
翌朝、宮之浦岳へと向かう山道は、激しい雨で完全に川と化していた。靴の中まで染み込む冷たい水、ぬかるんだ足元に何度も滑りそうになりながらも、ただひたすら前へ進む。
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ようやくたどり着いた山頂。しかし、そこに待っていたのは、期待していた絶景ではなく、白一色の霧だけだった。周囲には人影どころか、自分以外の存在を感じさせるものすらない。静寂と霧に包まれたその場所で、何とも言えない孤独感と、それ以上の達成感が入り混じる不思議な感覚に襲われた。
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山頂を後にして、体は疲れきっているはずなのに、足は止まらない。むしろ、歩けること自体が嬉しいと感じている自分がいた。
景色のない山を楽しいと思うのは初めてだった。この自然にあふれた屋久島を「歩けること」自体が楽しかったのだ。
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しばらく歩くと「山頂だー」と叫ぶ登山者の声が後ろから聞こえた。
ぼくと同じく、この真っ白な山頂でも感極まった人がいたようだ。
その明るい声に、思わずこちらも微笑む。誰もいないと思っていた山頂でい同じ気持ちの人がいるんだと、心を少し温めてくれた。
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歩けど歩けど、人の気配は一向に感じられない。その代わりに、時折草むらから聞こえる音に振り向けば、驚いた顔をしたヤクシカがじっとこちらを見ている。小鹿が親鹿に怒られる姿はどこか微笑ましい。彼らに何度も心の中で挨拶をしながら進む道中、縄文杉の近くまでたどり着いた。
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宮之浦岳周辺では完全な孤独を感じていたのに、縄文杉の近くにある避難小屋は、まるで山手線の満員電車のような賑わいだった。立ち止まる隙間すら感じられないその雰囲気に、むしろ逆に疲れてしまいそうだ。だからこそ、僕は迷わずその場を後にし、再び歩き続ける道を選んだ。
思えば今日は一度も休憩していない。山頂でわずかに立ち止まっただけで、ずっと歩き続けていた。
背中のザックでは持ってきたテントや寝袋、着替えまでが水を吸い、どんどん重くなっていく。
にもかかわらず、ぼくは疲れを感じていなかった。少しは体力ついていたのかなと嬉しくなった。
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ハート型に見えることで有名なウィルソン株を超え、元小学校の廃校を見ながら、トロッコ跡を歩いた。かつてはここに子供たちが歩いていたことを考えると、年月の流れと自然の凄さを感じた。
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今日は大雨の中、20km近くを歩いた。それも、雨でずっしりと重くなったテント泊装備を背負ってのことだ。普通なら嫌になりそうな状況なのに、不思議と楽しかった。
それは、屋久島の植生が見事に変化していく道を進むたび、新しい発見があるからだろう。雨に濡れた緑が鮮やかさを増し、木々の間を吹き抜ける風や雨音が心地よく耳に響く。歩けば歩くほど、この島の自然が僕を包み込むように感じられた。
足は疲れているはずなのに、心の中には適度な疲労感が心地よく広がり、満たされている自分がいた。「これでいい」と、心の底からそう思えた。
下山して登山口にたどり着くと、そこからバスに揺られて市街地へ。
ようやく人間らしいご飯にありつけたとき、幸せが一気に押し寄せてきた。トビウオの唐揚げは外はカリッと、中はふんわり。噛むたびに広がる旨味に思わず顔がほころぶ。さらに、カメノテの味噌汁。見た目の独特さに少し戸惑いながらも口に運ぶと、磯の香りがふわっと広がり、体の芯から温まった。
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食べ物がこれほど美味しく感じられるのは、今日一日を全力で過ごしたからこそだろう。この一杯、この一口が、ただの食事ではなく、屋久島で過ごした時間そのものを味わっているような気がした。
この日も宿が見つからず、下山後も疲れた体で必死に走り回った。途方に暮れかけていたそのとき、引退した旅館の店主が「特別だよ」と言って泊めてくれることになった。その優しい言葉に、胸がじんと熱くなった。離島ならではの温かさを、全身で感じた瞬間だった。
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旅館に入ると、玄関には百名山の登山バッジを丁寧に飾った額縁が目に留まった。店主も登山を楽しんでいたのだろう。
その額縁にはたくさんのバッジが並んでいたが、よく見ると1つだけ欠けていた。その空白が妙に気になってしまい、「残り1つ、登りたくならないんですか?」と、思わず聞いてしまった。
店主は少し笑って、「ああ、これはこれでいいんだ」と、どこか穏やかな顔で答えた。その言葉には、不思議な説得力があった。
その瞬間、ああ、これがこの人にとっての完成形なのだと気づいた。それ以上何かを聞くのは、きっと野暮だ。彼の中にある物語は、もうここで完結しているのだろう。
ぼくはその額縁をもう一度眺めながら、店主の言葉の意味を噛みしめていた。
翌日はフェリーで鹿児島に戻り、軽く九州旅行をして帰った。
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異変を感じたのは、帰宅した翌日である。
膝を曲げると激痛が走るのである。昨日まで何もなかったのに、なぜ?と思い、ぼくは整形外科に行く。
家の近くの整形外科はせいぜい数百メートルの距離だ。いつもなら気にもならない距離が永遠にも感じた。
そう、何よりキツイのが、横断歩道が渡れないことだ。信号機が青の間に渡れるかギリギリ。
疲労困憊になりながら病院で見てもらうと、膝の潤滑油が減っているとのこと。ヒアルロン酸を注射してもらうことになった。注射を受けるとたちまち元気になったが、しばらくなるとまた痛くなる。医者からはしばらく登山は禁止だよとドクターストップを受けるぼくだったのだ。
この経験を通して、僕は「歩けること」がどれほど貴重で、どれほど幸せなことかを初めて痛感した。
歩ける喜びを噛みしめて
ぼくは再び山に挑戦するため、慎重にリハビリを続けて。かつては当たり前だと思っていた「歩く」という行為に、これほど感謝する日が来るとは思わなかった。
だからこそ、声を大にして言いたいのです。
「歩ける喜びとは、生きる喜びそのものだ」と。
そうだ、「100歳まで歩くこと」を目標にしようとぼくは思ったのだった。
そして、山は登るなと医師に言われれば言われるほど、ぼくの心は山を渇望するようになった
続く
当時のGPSログ
宮之浦岳 スマホ電池が切れたので、途中まで