ギタリストのつめみがき
山野楽器noteをご覧の皆さま、こんにちは。
クラシックギターを弾き始めてもうすぐ半世紀になろうとしているArcangel(アルカンヘル)と申します。ちなみになぜペンネームがアルカンヘルなのかと申しますと、なんと誕生日(11月18日)が同じで勝手に親近感を沸かせたからです。一度も本人に会ったこともないくせに、スペインが誇る世界的銘器を生み出しているこの方の作るギターが大好きで大好きでたまらない。さらに店頭で今まで1本500万以上するこの方のギターを数本以上販売している所以であります。
10代の頃に国内のいくつかのクラシックギター関連のコンクールに挑戦をし続け、気がつけば、クラシックギターを販売することを生業とする職場で働いております。私の今までのギターライフの中で感じたことやエピソードをこれからお話していきたいと思います。
(アルハンブラ宮殿)
小学校4年生(10才)からクラシックギターを始めたため、右手の爪を伸ばすことはある程度当たり前だと感じている。特に日常生活の中で気を付けていることは、「ドアを閉める」「引き出しを開ける」「お皿を洗う」などの行為は右利きの自分にとって「必ず左手を使う」ということだ。お客さまと毎日接する中で「いや、実は爪を割ってしまって」とか「年のせいで爪がなかなか伸びにくくて」などという場面に出くわすが、私は右手の爪を使い、売場のクラシックギターの素晴らしい音色を”どうしたらさらに素晴らしいものにすることができるか”を毎日考えているので、日常の生活で十分注意をしなければならないことが体に染みついている。
「利き手以外の手を日常的に使う事」は何かの記事で読んだが、「脳に刺激を与えるらしい」
もちろん、楽器を演奏することも「脳に刺激を与えるらしい」
クラシックギターは右手で「旋律」+「伴奏」を一度に表現することができる。ピアノの「右手のメロディ」「左手の伴奏」を「すべて右手一つで行う」のである。故に、初めてクラシックギターを弾く人が強く感じることは「右手と左手が合わない」という現象だ。
私は、小学校4年生の時の記憶を今でもはっきりと覚えている。簡単な単旋律の曲を演奏した時に「この曲を10回弾きなさい、と言われて10回間違いなく弾けるだろうか?」と自身に問うたことがある。その時の自分の答えは「NO」である。明らかにできるわけがないと強く思った。あれから45年余りが過ぎた今、「10回間違いなく弾けるようになった」と言える。
その間に何があったのだろうか。
以前お客さまと「3000時間の話」というのをしたことがある。物事を習うために、3000時間費やすことで一人前になる、という話。一日24時間×125日、一年間で3000時間である。もちろん習い事だと毎日練習しても、一日2時間ほどで一年で730時間、4年と少し継続してやると「少しずつ身についてくるそうだ」。矛盾している話のようだが自身の経験上、練習は自身の期待を裏切り「どんどん練習をすればするほど下手になる気がする」。
しかしながら、この「下手になって行く感覚」を決してあきらめずに「継続する」とその先には「頭で考えないでも演奏できる技術」がある程度身についてくる。
「ある程度」と申し上げたのは、その度合いに差が出てくる。
「この度合のレベルがとても高い人」=プロの演奏家であると感じる。
でも趣味で演奏をしていても、「何も考えないでも演奏できる」という感覚まで持っていけると“明らかに 演奏=ストレス解消”につながる。
私はクラシックギター、といってもそれほど難しい曲が弾けるわけでもなく、代表的な「禁じられた遊び」や「アルハンブラ宮殿の思い出」を店頭で演奏できる程度だが、演奏をしている時に、“今の演奏は誰が弾いているんだ?”と客観的に感じる時がある。
それほど”頭で考えなくても演奏できる状態“の時がある。
いやむしろ、頭で考えながら弾くと失敗すると思う。
まとめると、楽器の演奏=とても楽しく、ストレス解消につながる、But「それまである程度の苦しみは経験しないといけない」ということ。
この苦しみを乗り越えるためのキーワードが「好きこそものの上手慣れ」であると私は思う。
好きなことは時間を忘れて集中できたりする。
こどもの頃カブトムシやセミを探しに野原を駆け巡った時に、時間を気にはしなかったはずである。
(アルハンブラ噴水)
人により好きなものは様々であり、楽器の種類も様々である。
もしクラシックギターという存在が気になりだしたらぜひ一声かけて欲しい。
画像でご覧いただくアルハンブラ宮殿の噴水をイメージした名曲「アルハンブラの思い出」という曲を披露させていただければと思う。
そして、いつの日かまったく弾けなかった方がこの曲を演奏できるような手助けができれば良いなあと思う。
(Arcangel アルカンヘル)