室町ギャルとお賽銭
日本には安価で願い事を叶えて貰おうとする初詣という文化があります。
ご縁があるから5円玉を入れるという神様ブチ切れ案件なルールも存在します。
それだけではなく『100の縁がありますように』という願いを込めて、100円玉を入れるというルールも存在するそうです。
縁1個で5円。
縁100個で100円。
単価安くなってるじゃんか。
なに縁のお徳用パックみたいなことしてるんだよ。
というところまでは皆さんも考えているとは思うのですが、もう一つ初詣で納得いかないことがあります。
それは『なぜ"お金"を納めるのか?』ということです。
こんな言い方をすると『5円を出すことすら渋るドケチ』だったり『だから神様から見放されるんだぞ』という意見が出てきそうなのですが、そういうことではありません。
どういうことか順を追って説明します。
まず、神様はいつから存在していたと思いますか?
恐らく多くの人が『昔から存在していた』と答えると思います。
事実、太陽の神であるアマテラスは1800年ほど前から存在していると言われています。
ここで先ほどの僕の言葉を思い出してください。
『なぜ"お金"を納めるのか?』
昔からいる神様が当時存在しなかった"円"という通貨で本当に動いてくれるのでしょうか?
もちろん、1800年ほど前には"円"という文化はありません。
では当時の人はどうしていたかと言いますと、食物やお酒・装飾品などを納めていたそうです。
ということは、明確に『モノ』から『お金』に変わった時期が存在するのです。
調べてみると、最初のお賽銭は戦国時代で、文化として根付いたのは室町時代という記述がありました。
ということは「いやー、お金あげた方が神様が好きなもの買えて嬉しいっしょ!」とノリで室町ギャルが『モノ』から『お金』にシフトチェンジさせたのです。
でも待ってくれ室町ギャルよ。
神様は境内にしか存在しないんだぞ。
境内にしか存在しない神様にお金渡したって使いようがないじゃないか。
神様は絶対、食物やお酒などをお供えしてくれたほうが助かるはずです。
さらにここ数年、PayPayやSuicaなどのキャッシュレスでお賽銭が出来る神社も出てきたそうです。
これは平成ギャルの仕業なのですが、先ほども述べたように境内に存在する神様にとっては意味がありません。
ギャルは強気なので「神っちもSuicaで色々なところ行こうよ!」と強引に連れ出す可能性があるのですが、さすがに神様が公共交通機関には乗らないと思うのでやはり意味がありません。
日本にも色々な課題があるので今すぐにとは言いませんが、少し落ち着いたら『神様はお金で動くのだろうか?』という問題を詰めていってほしいものです。
ちなみにこんなことを言っていますが、周りがお賽銭を入れているのに僕だけ入れないという空気が読めない行動はしません。
去年も今年も、恐らく来年もその先もお賽銭を納め続けると思います。
来年の初詣はギャルと100のご縁がありますように、ということで100円を納めようかなぁ。