私の好きな短歌、その41
わが頭蓋の罅を流るる水がありすでに湖底に寝ねて久しき
斎藤史、『魚歌』より。(『日本の詩歌 第29巻』中央公論社 p344』)
この歌は、これまで紹介してきたような写生短歌ではない。一首では「わが頭蓋の罅」とあり、この「我」は生きてさえいないようだ。歌集の題名が『魚歌』だから、魚の死骸の視点なのか。わからないので勝手な想像を許してもらおう。湖底に水の動きがあり、骨になって横たわっている私の頭蓋骨を抜けて流れていく。静かな中に聞こえる水の動く音、砂の舞う音、水草のゆらぎ。ただ事ではない状況の中の平穏さが、緊張感を持って読み手に迫ってくる。ミレーの絵画「オフィーリア」を思い出す。写生ではない短歌をあまり理解できない私ではあるが、一首の美しさ、印象の強さは、非写生短歌の可能性を教えてくれる。
ただし解説によれば、この頃の作品には、作者が当時置かれた状況(二・二六事件で父が投獄されたことなど)に対する「鬱屈した怨念」がみられると書いてあるので、そういう方向からの解釈が正しいのかもしれない。
『魚歌』は1940年(昭和15年)刊行。刊行時作者32歳。作者生没年は1909年(明治42)ー2002年(平成14)、享年94歳。