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防衛大学校卒業式 来賓代表祝辞

横須賀は、関東の中でも春が早いところです。本日は生憎の雨模様ですが、国家が緊急事態に直面し、それを乗り越えようとする中、今年の春の暖かさは、格別なものに感じられます。

防衛大学校を卒業し、研究科を終了される皆さまの卒業式にこうして列席し、お祝いのことばを申し上げる機会をいただいたことを、大変うれしく思います。また、ご両親ならびにご家族におかれましては、いつの間にか大人になってしまった我が子が、いよいよ陸や海、空へと旅立っていくことに、喜びや誇らしさとともに、万感胸に迫る思いでおられることと存じます。

今日という日は、二度とめぐり来ることはありません。みなさんは、卒業する前の大切な一年間をコロナ禍のもとで過ごされました。不本意なことも多かっただろうと思います。しかし、いかに通常とは異なる形であろうとも、今日という日はみなさんの晴れの旅立ちの日であり、一回限りのはなむけの言葉を、わたくしからもお贈りさせていただきたいと思います。

それは、共同体と自分との関係性についてであり、そして自己を律し、義務を果たしていくうえで重要な心構えというものについてであります。

小学校のころにわたくしの父の防衛大学校への転任が決まって以来、防大とわたくしとのあいだにちいさなご縁ができました。それは、この戦後日本特有の社会環境にあって、一般市民であるわたくしと自衛隊というものが、単に抽象的な関係性にとどまらない、人と人とのつながりによって定義される出来事でした。いま思えば、わたくしが『シビリアンの戦争』を著すにいたる、最初の種まきのようなものです。

今から20年近く前のイラク戦争のとき、アメリカの軍人とシビリアンとの間に存在する温度差に違和感を覚えたのがきっかけとなり、わたくしは「職業軍人が反対する戦争」という、書かれなければいけなかったテーマを書くことになりました。

軍人というものは、プロフェッショナリズムをいだく高度に専門職業的な存在であると同時に、一市民でもあります。民主主義の先駆者たるアメリカが、けっしてちいさくない問題を抱えていることからもわかるように、民主国家において軍を養い、軍に頼るということの意味は、いまだ思想的にしっかりと整理されているとは言えません。

あらゆる方向から日本国憲法に関する研究を重ねてきたはずの戦後日本においても、自衛官の位置づけはあいまいなばかりか、「制服を着た市民」であることの憲法上の意味合いは十分に研究されていません。

「非難とか誹謗ばかりの一生かもしれない」「君たちが日陰者であるときのほうが、国民や日本は幸せなのだ」

これは、吉田茂元総理が大磯の私邸に防衛大学校を卒業する一期生を招いて親しく懇談した時の台詞であるとされています。

戦後日本が、国際社会に復帰して間もない1957年のことです。吉田総理は、自衛隊員が国民から感謝されないかもしれないことを詫びているのです。あれから、64年の時を経て、皆さんに寄せられている国民からの期待はまったく異なるものです。

ちょうど10年前、日本が大震災に見舞われた時、瓦礫の中から国民を救ったのは自衛隊でした。想定外の原子力事故に際して国家の根本が揺らいだとき、出動したのも自衛隊でした。この国を毎年のように襲う天災に際して国民を支えているのも自衛隊です。そして、コロナ禍に当たっても、自衛隊が任務をまっとうする姿に多くの国民が感謝したことでしょう。積みあがった国民からの信頼は、諸先輩方の努力の結晶です。

皆さんの世代は、国民の期待に応え続けるという新たな責任の下にあります。言うまでもなく、国防の世界はきれいごとではありません。従来型の脅威はますます高まっています。今や、ミサイルの脅威は日本全土を覆っています。南西の海では、中国の公船が我が国の領海周辺での活動を継続しています。防空のためには、連日のスクランブルが必要となっています。目には見えにくくとも、サイバー空間や宇宙空間における脅威は現実のものとなっています。

コロナ禍があけたのちは、先進国社会が見舞われる内政の不安定さにも耐えていかねばならない。

本日、卒業する皆さんは、より混沌とした世界で、難しい任務に、より高い国民の期待を背負っていかねばならない運命の下にあります。まだ若い皆さんに無理難題を押し付けるのはしのびないことですが、そんな皆さんの前に立って、わたくしがお贈りすることができる言葉は「義務」と「友情」です。

わたくしたちが、人生を歩んでいく上で果たすべき義務にはいろんな次元があります。自衛隊の幹部となっていく皆さんにとって、第一の義務は国防のプロとしての義務でしょう。同時に、自由や民主主義などの価値を体現する責任ある市民としての義務も、みなさんは担っています。そして、時には、国境を越えて、人間としての義務も重要です。

かつて、冷戦の緊張感が高まる中でケネディー大統領が残した言葉があります。「わたくしたちはみな同じ空気を吸い、子供達の将来を尊び、そして、みな死せる運命の下にある」。当時のアメリカにとって、共産圏のソ連は最も手ごわい主敵でした。そんな関係性の中にあっても、人間としての共通点は見いだせる、という思いがそこには込められています。皆さんが歩む人生においても、様々な義務と義務との間で矛盾が生じることもあるかもしれません。その中では、国防のプロとして、市民として、そして人間としての義務をそれぞれに引き受けてほしいと思います。

一人一人の人間はそこまで強くありません。厳しい任務に耐え、国民の期待に応え、様々な義務を果たしていく支えとなるのが、友情であります。防衛大学校で共に学んだ者同士の友情をぜひ大切にしていただきたい。陸海空が協力して国防を担っていくための基盤となるものでもあります。地元の友情も大切にしてください。市民としての感覚を忘れないためにも、ふるさとの友は良いものです。

また、同盟国の軍幹部との間で築き上げた友情こそが、いざという時に同盟が機能するかどうかを分けるものです。そして、機会があれば、時に対立関係となる国の軍幹部との友情も育んで大切にしてください。いつの日か、それが日本の平和を守る日が来るかもしれません。
わたくしなどは、人生の折り返し地点に差し掛かったくらいのものです。それでも、つくづくと感じるようになったのは人生に意味を与えるものが、「義務」と「友情」であるということです。様々な義務を果たすからこそ、わたくしたちの人生には個々人の肉体を超えた意義があります。そして、その人生も、友情を通じて誰かと共有できるからこそ頑張れるし、喜びがあるのだと思います。

義務を果たし、友情を大切にする人になってほしい。この言葉を、みなさんの、栄えある旅立ちの日に贈るわたくしからの祝辞とさせていただきます。

ご卒業おめでとうございます。

令和三年三月二十一日

来賓代表 三浦瑠麗

(写真は防衛省Twitterより)