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猫考察333
北海道ではある地域では野犬が駆除対象動物になり保健所や猟友会等で殺処分されていて 反対の声も上がっている
自分には立場をわかってない人達の戯言にしか聞こえない
持ち主 飼い主がいない犬は当然 狂犬病の恐れもあるし
家畜を襲う事もあるだろう 迷惑してるから駆除対象になるのであって その地域で住んでない人達が 住んで困り果てている人達の意見を聞いてないし 知らないでいる
犬は助けなくては行けないのに 熊やイノシシは殺されて当然何だろうか? 野犬がいればイノシシや熊でさえ警戒をする 子供達が食べられてしまう恐れがあるからだ
当然 餌場の取り合いや縄張り争いも激化するし でも食物連鎖の一つには入っても良い動物だとも思うのだけど
愛護とは飼い主がいて責任を取らせる守らせる為のものと
絶滅危惧種や狩猟禁止区間でのみ使える言葉で
その地域に助けにも行かない人達が反対をする事に疑問と意見がたえず頭を巡る
SNSで反対表明をする事は別に個人の自由だからどうでも良い でもそれが個人ではなく愛護団体の代表のページならばやはり疑問は尽きない 助けたくても助けられない動物も人達も世の中には沢山いて その中で犬猫の命を動物の命を助けたい気持ちは良く分かるから 尚の事疑問が尽きない
反対運動はその地域の人達がすることで それに賛同するならば納得もする
遠い所からニュース等で行きもしないで反対運動を少なくても拡散をして人々に広めて何になるのだろう?
困っている 大切な商品である家畜を傷付けられたり 殺された人達の保証はどうするのだろう? 反対する人達が保証してくれるのだろうか?
命の価値は立場と場所で簡単に変わる だから自分はボランティアさん達に踏み込めない線がある 線を引いた
わかりやすく言うとお金を貰う商売にした 野猫は飼わない以上助けない 自分が傷付いても悔やんでも 切り捨てる
幸せとは人だけのものではない どんな命にもこの世に生を受け誕生したら幸せなり意味はある筈だ
たとえ短い時間しか生きられない野猫や野犬でも 全うする天命を持って生きている 確かに人が助ければ長生きできるかも知れないでも望んでいるかは誰にもわからない
話せないし理解も出来ないから
それでもうちにいる猫には長生きしてほしいし なんなら先に自分が死にたいくらいだ 自分が死ぬ間際まで心残りだろうけど… 最近ドラマを見ていて初めて怖い病気が分かった
痴呆症だけにはなりたくない だけどならない為の努力はして来なかったから かかるかどうかはわからない
バイクに乗れなくなった時 痴呆症が進んだ時 尊厳死を選ぶしかない 悲しい事も沢山あった 未だに未熟で沢山の人達に迷惑もかけている それでも分からない事があるから生きている 分からないことがあり過ぎて分からない
吉田拓郎の 唇をかみしめて を唄いながら
イエモンの JAMを 唄いながら
小田和正の 明日 を唄いながら
今を 生きていくしか術を知らないでいる
では又