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看護学部で「いのちの社会学」を学ぶ意味

看護学部4年の山岸優花です。看護師を目指す皆さんは「誰かの助けになりたい。命を助けたい」という、優しく強い思いに溢れていると思います。私も「私が誰かの支えに慣れる力を持ちたい」と願い、看護学部を目指しました。しかし、看護学部に受かった時に抱いた戸惑いと恐怖の混じった感情を、今でもはっきり覚えています。その理由は看護師という職業が「人の命を背負う」職業だからです。

これから関わっていく多くの命と、どのように向き合っていけばいいだろう……こんな人として看護師として疑問・悩みに対し、様々な考え方の引き出しを与えてくれるのが「いのちの社会学(一年次必修科目)」や「生命倫理(二年次選択科目)」という授業でした。

授業の中では、例えばハンセン病問題・安楽死の問題・臓器売買の問題などを通し、人が生きてきた歴史の中で、命がどのように扱われてきたのか、それを取り巻く倫理に対する考え方はどのようなものがあり、どんな歴史をたどってきたのかを、自分の中で読み砕き、考えることができます。そして、その自分の考えを、クラスメートとディスカッションする時間が与えられます。この授業は、それなりに広い視野を持っているつもりであった自分が、人と話すと「こんな考え方もあるんだ」と、どんどん世界を開げていく目の覚めるような時間した。

この授業には正解も、不正解もありません。授業を行っている川元先生は、よく「あなたの心にある、モヤモヤした今の想いを大切にしてください」と学生に投げかけてくれます。最初のうちは、「なぜ悶々とし続けなければならないのだろう?」と不思議に思うこともありました。何が正解かわからなくて、考えることが嫌になる……なんてことも起こるかもしれません。けれど「しつこく考え続ける力こそ、看護師として現場で生命や倫理の問題にぶつかった時、大切な助けにになるものなのだ」と、私自身もだんだんと分かってきたところです。

看護の道を進むには、常に人の命を背負う戸惑いと恐怖はあると思います。しかし、それは悪いことではない、と授業を通して私は考えられるようになりました。「むしろその恐れがなくなってしまった時こそ、自分が倫理を踏み外す状態に近いことだ」。今の私は逆に、そんな恐怖を抱けなくなることを、恐れています。

人は、環境に慣れてしまう生き物です。医療職として、人の人生や感情に関わることにだんだん慣れていくでしょう。慣れないと働いていて自分の方が苦しくなってしまう時もあると思います。けれど、苦しいのはそこに命の問題があるからです。本当は慣れて目をそらしてはいけない現象なのだと思います。真剣に命と向き合う中で、苦しくなった自分を支えてくれる様々な考え方の助けが、「いのちの社会学」や「生命倫理」には詰まっています。

悩むことは弱さではなく、きちんと悩める強さを持っているのだと肯定される授業で、きっと皆さんの心も、自由になっていくと思います。