地元愛。(小俣の場合)
はじめまして。
山梨移住計画の小俣です。
2018年3月に東京から地元上野原市にUターンして、ちょうど3年が経ちました。
渋谷でパノラマというWEBのプロダクションをやっており、週1〜2回オフィスに出社し、残りは自宅作業という2拠点スタイルで仕事しております。
※現参加メンバーの中で唯一山梨の東部(山梨なのに電車でも車でも新宿まで約1時間!)に住んでおり、なかなか情報の少ないこの地域を盛り上げるべく活動しております。
まずは、初回の投稿ということで、私の自己紹介をさせてください。
幼少期。
上野原市の山の中で生まれ育ち、祖父母の酪農の手伝いをしたり、畑を狙うイノシシや鹿などと共に幼少期を過ごす。
本当に何もないので、毎日野山を走りまわっていた。
やんちゃ過ぎて怪我も多く、大人になっても親戚のおばさんに「よく生きてたね」とよく言われる始末。(救急車には3回運ばれる)
そして、今でも「何か入ってるの?」と言われるくらいふくらはぎが発達している(笑)
という感じで、健康優良児として育つ。
外の世界へ。
そんな田舎者は、大学卒業後にワーホリでカナダへ行ったことで、初めて地元を出る。
ロクに勉強もしてなかったので英語も中学生レベル(もっと低かったかも)だったため、とにかくコミュニケーションが取れず、人生で一番ツライ1ヶ月間だったことを今でも鮮明に覚えている。胃に穴が開きそうなほどツラかった。。
ただ、最終的にはずっと映画の中の世界だったアメリカ大陸を、東から西まで1ヶ月近くかけて、独りで大陸横断達成できるまでに!
あのチャレンジは世界観も大きく変わった本当に良い経験だった。
子供にもやってもらいたい!
▲旅の途中のグランドキャニオンは感動しすぎて1日ここにいた。
東京ライフ&起業。
帰国後は、東京(杉並区)に住み、ITベンチャーに3年働いたが、大きな組織でのやりがいをあまり感じることができず、そしたら自分でやるしかないと同僚とWEB制作会社(現パノラマの前身となる会社)を立ち上げる。
当時は行きあたりばったりでやっており、連日徹夜ばかりの廃人のような生活を送っていたが、それはそれで刺激的な日々だった。
(吉祥寺・西荻窪・荻窪と移り住み、毎日のように飲み歩いていたため、おすすめ情報多数あり。ちょっと情報古いですが。)
地域おこし結婚式。
私の場合、地元上野原まで約1時間という距離だったため、1ヶ月に1回は帰省しては、地元の仲間たちと交流しており、あまり地元から外に出ているという感覚ではなかったというのが正直なところ。
ただ、何度か東京で知り合った友人たちを地元上野原に招待した時に、
「小俣さんち、いいなー」とか「こんな環境に住みたい」
という意見が多くて、自分が小さい頃から「当たり前のように送っていた生活」が魅力的な人もいるんだと気づかされる。(地元の魅力に気づく)
それからは、定期的に友人を招待しては、キャンプしたりバーベキューしたり、地元の仲間との交流機会を増やすことを意識した。
それは、地元を知ってもらいたいという思いだけでなく、地元の仲間たちにも外を知ってほしかったという思いもあった。
やはり自分自身、一度地元を離れたからこそ気付けることが非常に多く、地元がより魅力的に感じるようになった。
余談にはなるが、結婚式こそ地元知ってもらうのに最高の機会だと思い、上野原市役所のホールで、結婚式を開催。
手作りではあったが、クライアントのプロデュース会社も含め、地元の飲食店の方々や仲間など色んな方に協力してもらって、一生思い出に残る素晴らしい式になった。
▲制作物は東京で出会ったクリエイターさんたちに依頼。
きっかけ。
そんなこんなで月1回は山梨帰るスタイルが定着していたが、子供が生まれたことで状況に変化が訪れる。
杉並区は、公園も多く子育ての環境的には悪くないと思っていたが、保育園問題に直面し、入園できた保育園はマンションの一角で庭もない。。
山育ちの自分としてはこれはちょっと・・・とUターンを考えるようになる。
いつかは上野原に戻ろうと思い、東京住んで約10年。
日々色んな人と出会えるこの街が好きだしなーという後ろ髪を引かれる気持ちはあったが、子供が幼稚園に入るタイミングで上野原に戻ることを決断。
上野原に戻ってからの生活。
まず、たまに帰ってくるのと住むのでは、大きく違うことに気付かされる。
・親父との共同生活(たまに会うくらいがちょうどいい)
・家の中が極寒
・近所付き合い(地域行事への参加など)
・地元消防団への勧誘が激しい
・ネットの環境が不安定
などなど
とりあえず、住む場所を整えなければと、築100年近く経つ実家をリノベーション。
立て直すという選択肢も無いわけではなかったが、自分が育ったこの家で子育てしたいという気持ちもあり、リノベーションを選択。
元々祖父母と両親で二世帯住宅として生活していたが、祖父母の生活していた部分の傷みが激しかったので、ちゃんと生活できるように改修した。
だいぶ生活が変わった。
笑顔が生まれる環境になった。
▲リノベーションにより蘇った築100年の古民家
そして、今まであまり接点のなかった地元のイベントやコミュニティへも積極的に参加したことで、新たな繋がり・発見が沢山あった。
甲府方面にも足を運んだことで、ここにいる移住計画のメンバーとも知り合うことができた。
仕事的には、会社の体制的にも良いタイミングで、諸々スムーズに切り替えできた。先取りリモートワークで週1〜2回は渋谷にあるオフィスに行く生活に。(今はコロナ禍ということで、週1回オフィス行くか行かないかの生活に変わっている。)
電車に乗っている時間は、トータル1時間15分程度。中央線の始発に近いので、ほぼ間違いなく座れるため、PCを開いてメールの確認・返信などしていたらあっというまに新宿に着いている。(1時間程度)
山から出発して電車降りて渋谷のビル群と、オンオフが非常につけやすいライフスタイルである。
上野原の今。
人口は僅か22,000人。人口減少は著しい。
新宿まで1時間でいける田舎としては、魅力的な場所ではあるが、東京に近いがゆえに、若者の東京・神奈川への転出も多い。
その理由としては、就職が大きな要因になっていると思う。
地元で就職するのであれば、公務員か工場で働くくらいしか選択肢が無いのである。もちろん、そういった仕事を否定しているのではなく、ただ若者の選択肢が少ないことが問題なのである。
今や私のように、PC1台あれば仕事ができるスタイルも珍しくなく、そういったクリエイターや手に職をもった移住者の方も増えている。
ただ、上野原の環境を考えればもう少し増えてもいい気はするが、情報発信が足りてない部分が大いにあると私は思っている。(これは外に向けても中に向けても)
上野原市移住サイト
https://www.city.uenohara.yamanashi.jp/iju/
私の想い。
上野原(山梨)をより魅力のある場所にしたいし、もっと知ってもらいたい。
子供や若者が活気がある街にしたい。
移住者と地元の人との交流の機会をもっと増やしたい。
そんな私の活動と地元の魅力をここで発信していけたらと思います!
▲パワースポットとしても有名な軍刀利神社にある大桂。
上野原に来たらぜひここに。
Web Producer / director / 薪割り職人
小俣 卓充(情報発信用のSNSは準備中)