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無意識を形にし、ありのままを描き出す

2022年12月7日、『米倉壽仁展 透明ナ歳月 詩情(ポエジイ)のシュルレアリスム画家』の取材で山梨県立美術館へ伺いました(本展示会は一部の作品の撮影が可能です)。

これから見ていく作品は「シュルレアリスム」と呼ばれる「理性や道徳による統制を外れた思考の書き取りの実践と定義した芸術運動」の作品です(出典は以下のサイトです)。

私はこの情報を下調べしたうえで作品をじっくり観察したので、この運動がどういった意味なのか、具体的にどのような作品がこの運動によって作られたのかというのを見ていきたいと思います。まずはこの作品です。

米倉壽仁 《モニュメント》1937年 山梨県立美術館蔵

歯のようなモノからリボンやレースなどが神経のように出ているように見えます。物質だけみたらそこまでグロテスクではないですが、作品そのものとして全体像を見つめると歯から神経が飛び出ているように見えて、どこか奇妙でグロテスクに見えます。

米倉壽仁 《黒い太陽》1954年 山梨県立美術館蔵

次はこの作品です。二人の人のように見えるモノが頭を抱えたり、上を向いて叫んだりしているように見えませんか?この作品は自分的にはなんとなく素材感が固く、緊張感と悲壮感、絶望のようなものが容赦なくのしかかってくるような感覚を覚えました。

米倉壽仁 《核ー天空の祝祭》1958年 山梨県立美術館蔵

次は この作品です。私はこの黄色の絵の中の波紋状の模様になんだか威圧感を感じます。自分は蛾が大嫌いなのですが、あの蛾の模様を見たときのギョッとする感覚を思い出させる模様で、獣のような恐ろしさはないものの、静かにこちらを見ている恐ろしさ、気付いたらそこにいる恐ろしさのようなものを感じて美術館の中でもやはりギョッとしてしましまいた(笑)。

このように、無意識に自分たちが感じているものを素材や形、イメージによって具現化するものがシュルレアリスムなのではないかと個人的に感じながら作品を眺めていました。

無意識にあるものは、人間は言葉にすることが難しく、さらに作品のようにそこに具現化するのは至難の業だと思います。でも、それを美術館という場所を通して無意識下で他人と共感し合うという経験自体、人々がそれぞれの感覚や感情を言葉や何らかの形で具現化するという点において、シュルレアリスム的で考えてみると面白いと感じました。

『米倉壽仁展 透明ナ歳月 詩情(ポエジイ)のシュルレアリスム画家』は2023年1月22日まで山梨県立美術館で開催されています。

取材させていただいた山梨県立美術館の関係者のみなさま、ありがとうございました。

文・写真:石井陽菜(山梨県立大学国際政策学部国際コミュニケーション学科1年)

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