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時代を超える可愛さ

2022年10月19日、山梨県立美術館で開催されている縄文展を訪れました。そこには数多くの土偶や土器が飾られていました。その中でも、「KAWAII」をテーマに展示されている全国各地の個性・愛嬌あふれる土偶や土器に注目しました。この記事では、縄文時代と現代の「KAWAII」の価値観に触れていきます。

~土偶の可愛さとは~

片足を上げて、目を大きく開いて、口も大きく開けて、両腕を前に出す可愛らしい土偶がありました。

私にはこの土偶がお母さんに抱っこをねだる無邪気な小さな子供のように見えました。頭が大きく、手足が短くて、3等身程度なので、マスコット的な可愛さも感じました。

私がこのように想像したように、この土偶が子供やキャラクターのようなものをイメージして作られたのであれば、縄文時代の子供の愛くるしさや「可愛さ」というのは現代に通ずるものがあると考えます。

~縄文時代と現代の「可愛い」~

展示会には以下のような説明文が書いてありました。

土偶の名品と人面の数々、また人面装飾付土器を紹介して、“かわいい”のルーツを探ります

しかし、私はここで疑問を持ちました。現代の「可愛い」と縄文時代の「可愛い」の価値観や感じ方は果たして同じ道を辿っているのでしょうか。私たちが今土偶を可愛いと感じるように、縄文時代でもこれらの土偶を可愛いと感じていたのでしょうか。本当に現代の「可愛い」の根源は縄文時代にあるのでしょうか。ここで次の土偶を見てみます。

この土偶もまた可愛らしい表情をしています。しかし、この土偶は全体的に丸みを帯びていて、女性らしいしなやかな形だなとも感じました。

歴史の授業で習った記憶を紐解くと、もともと縄文土器には女性像が多く、多産や安産を祈願して作られたものだと言われています。この土偶はおなかが膨らんでいることから、妊娠女性をイメージして作られたものだと想像しました。

これは私個人の見解ですが、女性を表現するときは「可愛い」というより「美しい」や「艶やか」という気がします。つまり、縄文人にとってこれは可愛さを表現したかったものではなく、女性の美しさ、また妊娠時の女性の力強さを描いたのではないかと考えました。

このように、当時の時代背景を考えながら土偶を見ると、また違う視点で見つめることができます。私たちが可愛いと感じていたものも、当時の人は全く違う感想を持っているかもしれません。それでは、なぜ私たちはこの土偶を「可愛い」と感じるのでしょうか。

~「可愛い」の多様性~

縄文土器を「可愛い」と感じる理由。それはずばり「可愛さ」の多様性にあると考えます。

現代では、「キモ可愛い」「かっこかわいい」など様々な可愛さの定義があります。また、人やインテリア、ファッションなど様々な可愛さのカテゴリーがあります。例えば、現在「キモかわいい展」というものが存在します。様々な生き物を観察しふれあい、見た目にとらわれずに生き物の意外な点や愉快な点を観察し、どこか可愛げある様子を楽しむというものです。

このように、現在では意外性や面白さなどのギャップも可愛いということがあります。時代とともにこのような感性や価値観は変化しているのではないでしょうか。つまり、縄文土器も現代の可愛さの価値観が広がったことによって、「可愛い」という観点から見て楽しめるようになったのではないかと考えました。

今回、縄文土器を通じて、縄文時代と現代の土偶に対する感じ方、また「可愛い」の価値観について考えることができました。

また、歴史的な芸術を鑑賞することで、過去と現代の芸術や感性、様々なものを垣間見ることができると気づきました。

私が山梨県立美術館を訪れたのは2回目です。次の展覧会にもぜひ参加させていただきたいと思いました。みなさんもぜひ山梨県立美術館を訪れてみてください。

文・写真:芦澤日菜(山梨県立大学 国際政策学部 国際コミュニケーション学科1年)

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