捉え方の自由
みなさん、こんにちは!最近は寒すぎてヒーターやこたつが手放せませんよね。しかし、電気代が高く、我慢している人も多いのではないでしょうか。
私は2022年12月7日、山梨県立美術館で開催されていた『米倉壽仁展 透明ナ歳月 詩情(ポエジイ)のシュルレアリスム画家』を取材させていただきました(本展示会は一部の作品の撮影が可能です)。
米倉壽仁は、山梨県甲府市に生まれ、当初は文学を志して1920年代から詩作に励み、その後シュルレアリスムの絵画を制作した芸術家です。激動の時代であった20世紀を通して「芸術とは何か?」を思考し続けた人です。
シュルレアリスムとは、理性による制約や先入観を離れた人間の無意識下にあるものを表そうとする芸術運動です。第一次世界大戦後にフランスから世界中に広まり、日本の前衛画家たちにも多大な影響を与えました。
米倉は1930年代からシュルレアリスム絵画を手がけ、シュルレアリスムの紹介者とも目される福沢一郎に出会い、独立美術協会、美術文化協会といった前衛絵画団体に所属しました。しかし、戦争が始まると前衛的な表現は厳しく統制され、隆盛の絶頂期にあったシュルレアリスムも抑圧されました。そのような困難な社会的状況のなかで、米倉は戦前から傾倒したシュルレアリスムの流れを汲む表現を生涯にわたって追究した画家でした。
それでは私が興味を持った作品をいくつか紹介させていただきます。まず、看板にも描かれている作品を紹介したいと思います。
それぞれの絵の説明文には以下のように書かれていました。
《早春》は《破局(寂滅の日)》に続く作品と考えられ、希望を感じられる一方で、さらに壊れた卵、包帯を巻いた人物からは、破壊の痛ましさや、その傷を癒そうとする様子が表されています。
次にご紹介するこれらの作品は米倉と交流のあった画家の作品です。特別に許可を得て撮影させていただきました。
この写真には、3つの作品がありますが、その中でも、右の作品の《八頭身美人の悲しみ》 という作品について紹介したいと思います。
この作品は、怪獣のようなモチーフと抽象的な形が組み合わされています。私は、この作品を見た時、どこにも女性が描かれておらず、彼女の感情だけを描かれたように感じられました。八頭身は”綺麗””素敵”と思われがちですが、彼女らの本当の気持ちは悲しみに溢れているのかなと思いました。悲しみだけでなく怒りのような表現にも感じられました。
この解釈が合っているか分かりませんが、その人がどのような意図を持って描いたか分からないからこそ、絵画は見た人が自由に捉えることができるので面白いなと思いました。
これは《閉ざされた悲歌ー石神ー》 という作品です(特別に許可を得て撮影させていただきました)。この作品の「石神」は山梨県に伝統的に残る「道祖神」のことを表しています。ただし、山梨では道祖神が丸石で表されることが多いですが、本作では男女の双体道祖神が描かれています。
この作品を見た時に、道祖神の周りに木や草が生い茂っていることから、守る道がなくなった道祖神が描かれているのかなと思いました。もしくは、私たちの生活を道祖神が昔から見守っている様子が描かれているのかなと思いました。
私はこの日に初めて米倉壽仁や窪田知矩の名を知りました。どれも素敵な作品ばかりでした。今回彼らの作品に触れる機会があり、幸いでした。
部屋と部屋の区切りには、展示のねらいの説明が掲示されており、絵画の隣にも説明が書かれています。作品を見ているだけでも楽しめますが、読むことでより一層楽しめると思います。子どもから大人まで幅広く楽しんで見てもらえると思います。
私はこの展覧会で、時間を忘れるほど作品の世界に没頭していました。とても充実した時間でした。本当に素敵な作品ばかりだったので、ぜひ皆さんにも実物を見ていただきたいです。また、山梨県立美術館でしかこの展示物を見られないという特別感をより多くの人に感じてほしいです。
『米倉壽仁展 透明ナ歳月 詩情(ポエジイ)のシェルレアリスム画家』は、2023年1月22日まで開催されているので、ぜひ美術館に足を運んで、皆さんのその目で作品を見てほしいです。
山梨県立美術館の皆様、取材させてくださり、本当にありがとうございました。
文・写真:藤田ひまり(山梨県立大学国際政策学部国際コミュニケーション学科1年)