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絵を通して考える私たちの本当の姿とは

2022年12月7日、山梨県立美術館で開催されている『米倉壽仁展 透明ナ歳月 詩情(ポエジイ)のシュルレアリスム画家』を取材させていただきました。

左:米倉壽仁《光》1938年 山梨県立美術館蔵
右:米倉壽仁《翳》1938年 山梨県立美術館蔵

20世紀は、世界中が混乱に陥った激動の時代でした。そんな時代に生まれ生きていた米倉壽仁は「芸術とは何か?」を思考し続けながら芸術に取り組んできました。

今回の展覧会には、彼なりの答えと考えが展示されていたので私なりの解釈を添えながら作品を紹介していこうと思います。本当の自分と向き合うきっかけにもなると思います。今から紹介する作品を見て、自分なりの解釈や自分と重ね合わせて考えてみるのも面白いと思うので、ぜひ楽しんでいってください。

米倉壽仁《翳》1932年 東京国立近代美術館蔵

これは「鏡」という作品です。一冊の本の見開きみたいになっているこの作品は、考えさせられる要素がたくさんでした。

例えば、鏡という題名なのに映し出されているのは裸体の女と洋服で分けて描かれているところです。人間をそのまま鏡に映し出すのではなく、纏っているものを剥がしてありのままの生身の人間をうつしているところが非常に興味深いと感じました。

特に、右側の洋服の方に注意を向けてみると、糸のような細い線で繋がれています。これは何を表しているのでしょうか。洋服が形を崩さないように支えているのでしょうか。私は、洋服や持っているその扇子などがこの裸体の女性を縛り付けている一種の呪縛のようにとらえました。女性という先入観のもと描かれたピンクの可愛らしいドレスと対照的に、暗い背景の中描かれた反対側を向く裸体の女性には色々と考えさせられます。

私たちは必ずしも天から授かった自己の性に正直に生きなくていいように思います。自分の感情に鏡を合わせて正直に生きていけばいい、私にはそんなふうに思えました。

米倉壽仁《憂愁》1954年 山梨県立美術館蔵

こちらは《憂愁》という作品です。この絵を初めて見た時はタイトルと似ている言葉、憂鬱という言葉が思い浮かびました。

そこで憂鬱とは何か、改めて気になったので調べてみました。憂鬱とは、不安事や心配事が重なって溜まっていくことで感じる人間特有の感情です(ちなみに、憂愁とは悩み悲しむこと。うれいという意味です)。

この絵の中心にいる人間の体をよく覗いてみると梟や魚などの多くの動物たちが描かれています。これは人間に溜まっている負の感情のメタファーなのではないでしょうか。

またこの人が抱え込んでいる歯車にも焦点を当ててみましょう。生きている限り人生の歯車は止まる事なく動き続けます。しかし、憂鬱な時は一旦止めて休んでみることも重要ということを伝えているのではないか、そんなふうに私は捉えました。

もう少し、奥のほうにも触れていきましょう。大きな壁の向こう側には明るさを感じます。明るい中を生きている人と比べて、さらに自分の現実を突きつけられ憂鬱な気分にさせられてしまうのは人のよくある話ですよね。私もよく自分と他人を比べて一喜一憂してしまうときがあります。これは仕方がないことだと思います。しかし、憂鬱になっても一旦止めた歯車を再び動かさなければなりません。この絵を見て人間の感情の本質をよく表しているように感じました。

今回の作品はどれも考えれば考えるほど色々な解釈ができる面白いものばかりでした。文章や動画ではなく、絵という芸術を通じて人間について考えさせられるのは他者に影響されずに自分の意見について素直になれる最高の方法だと思います。

みなさんにもぜひ自分の価値観や物の見方を『米倉壽仁展』で試してみてほしいです。

『米倉壽仁展 透明ナ歳月 詩情(ポエジイ)のシュルレアリスム画家』は山梨県立美術館で2023年1月22日まで開催されています。

取材させていただきました山梨県立美術館の皆様、本当にありがとうございました。

文・写真:周雨音(山梨県立大学国際政策学部国際コミュニケーション学科1年)

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