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"犬派猫派"について考える

「犬派?猫派?」という話題は困る。「猫派なんだね」と言われるともっと困る。キャッチーなのはわかるが、私はあくまで無所属、やや猫びいきという立ち位置でありたい。勝手に派閥にいれないでくれ。"○○派"とされると、急にびしっと線を引かれたような、なんだか他を受け入れない分断された関係を連想してしまう。二択なのもよくない。選択肢として提示されなかった派閥の方も気分を害しそうだ。

ここはもうちょっとやんわり平和的に言い換えてみるとしよう。カテゴライズするのであれば、純粋に好みをアピールする"○○好きさん"というのは攻撃性が少なくてよい。犬好きさんかつ猫好きさんであってもなんら問題はなさそうだ。ただ"○○派"から感じる集団っぽさはなくなる。すこしだけ集団っぽさをにじませる言いまわしはないだろうか。集団…チーム…グループ…組…?ふだん単独行動をとりすぎているせいか全然いい言葉が思いつかない。"猫好きさんチーム"なんて言い出したらまた分裂の兆しが見えた。ろくなことがない。あ、でも"猫さんチーム"ならちょっと入りたい気がする。猫さんのチーム、人間は猫さんと猫さんのあいだにいれてもらって手をつなぐのだ。とてもよい。犬さんチーム、鳥さんチーム、うさぎさんチーム、おのおの好きなチームにいれてもらおう。みんな好きなものに両手をとられはさまれてハッピーなのだから争う暇などないはずだ。

そもそも"○○派"と聞いて派閥を連想してしまうからこんなことになった。ここはひとつ、"流派"の"派"としてとらえてみたらどうだろうか。流派というならどこかから枝分かれしてきたはずで、もとをたどれば同じところにつながるのではないか。話が通じそうな気がする。もとをたどる。大元、源流、本家…?本家と分家…?ここでまた争いのにおいを感じたのはそういうフィクションの見すぎだろう。よく考えたら流派であれば"○○流"とされるような気がする。犬流、猫流。新しい。なんだかプロフェッショナルを感じる。犬の流儀、猫の流儀ということか。そうなると猫流はきっと猫だけのものであるから、人間が猫流を名乗ることは許されない。一族相伝なのだろうか。なんとかしてその一族にいれてはもらえないだろうか。これはもう人間をやめて猫になるしかない。今だ。今すぐにだ。

なんの話だ?これでは「猫派なんだね」と言われてもしかたない。

そしてふりだしにもどる。

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