梵我一如だよ、パトラッシュ。@霓綜莫ハオリ

例えば、「りんご好き」と「面倒臭がり」
なんの因果関係も無いふたつの事象も、私という人間を介した途端に因果が生まれます。そうやって出来た因果の積み重ねが“個”を作っているのだろうと思います。ねじれの位置にある事象同士をを“私”という因果でつなぎ止めることにより、“個”をより確かなものにするのです。

つまり何が言いたいかって、そりゃカニカマは美味しいって話なんですけどね。カニカマ、もっと胸はれよ。自信持てって。

2023年秋、注射を打ちたくないため学校をやめた私は、絶対音感とバドミントンの腕前を活かし、ガットに当たるシャトルの音を聞き分けるガット張りのスペシャリストとしての人生を歩み始めました。この頃に私は腹筋を割ります。Y○NEXやウィル○ンからのスカウトを全て躱し、独自の技術でシャトルとガットに向き合っていました。
しかし、「こんな人生でいいのだろうか……」という漠然とした将来への不安から、転職を試みます。
2030年、私は投網漁師に転職しました。読んで字のごとく投網漁です。投網は簡単な仕事ではありませんが、それでも続けられた背景には、支え励ましてくれた彼の存在がありました。彼の名前は渋沢栄一。福沢諭吉の存在意義を「天は人のために人をつくらず」という『学問のすゝめ』序盤の詭弁だけにしてしまった直接的原因の彼ですが、私は彼のことが好きです。彼は多くの人間に愛されていますが、彼もまた私のことを愛してくれました。色々なものを彼から貰いましたし、私も彼にたくさん尽くしました。
そして2040年、方向性の違いにより投網漁を引退し、私は広○香美のpr○miseで「ゲッダン☆」し『ピタッ』を出す修行を始めました。

ここまで私の未来の年表を(想像で)書いてみて思ったのですが、『ブラック企業で会社のイッヌとして定年までバリバリ働く』が最適解だと思います。なむさん。

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