今日は今日だから明日はいつだ?@紫翠アニ

第一章「いつ」
今日っていつなんだろう。今日は今日か。
明日っていつなんだろう。明日は明日か。
けど、今日が今日とも限らないし、明日が明日とも限らない。今日じゃない今日もあるし、明日じゃない明日もあるから。だから、今日が今日か今日じゃないかわからない限りはいつかわからないし、明日が明日か明日じゃないかわからない限りはいつかわからない。それに、今日じゃないと明日じゃないはいくつあるかわからない。いくつもあるものはいつかわからない。なんなら、今日と明日にも種類があるのかもしれない。だとしたら、今日が今日か今日じゃないかと、明日が明日か明日じゃないかがわかったところで、いつなのかを知ることはできないのかもね。そうは言えども、他に今日を知るための手掛かりがないから、今日が今日か今日じゃないかと、明日が明日か明日じゃないかから考えていくのが良い気がする。
まず、今日が今日だと仮定しよう。今日が今日で明日が明日なことはあり得るし、今日が今日だとして、明日が明日じゃないこともあり得る。
今度は、今日が今日じゃないと仮定しよう。今日が今日じゃなくて明日じゃないことはあり得る。けど、今日が今日じゃなくて明日なことはあり得ない。今日が今日でない限り明日は明日にならない。
ということは、今日が今日である可能性より、明日が明日である可能性の方が低いのかもしれない。だから、明日がいつかなんてわからない。
今日が今日であることは当たり前。明日が明日であることも当たり前。そんなの、変だよ。今日は今日でしかないのは今日を今日だと思い込んでいるからで、今日が今日じゃない可能性を知ってこそ、今日が今日であることを疑える。けど、今日は今日であることが多い気がする。いつかわからなくなるのはだいたい明日だから。仕方ないよね。今日より、明日の方が明日じゃない可能性が高いんだから、よくわからなくもなる。今日に取り残されて、明日に行けなくなって。そうなったら、明日は今日だ。だから、明日に人は行こうとする。明日が明日か確かめるには、今日から明日に行かなきゃ行けないから。けど、そうすると明日は今日になってしまう。明日から見た明日は今日で、明日から見た今日は、いつだ?

それを、人は昨日と名付けた。

第二章「昨日」
今日っていつなんだろう。今日は今日か。
明日っていつなんだろう。明日は明日か。
昨日っていつなんだろう。昨日は昨日か。
今日の前が昨日で、今日の次が明日。それなら、その順番は間違っている。
昨日っていつなんだろう。昨日は昨日か。
今日っていつなんだろう。今日は今日か。
明日っていつなんだろう。明日は明日か。
こうだな。昨日があるから今日があって、今日があるから明日がある。時系列的に見たらそうとらえるのが自然な気がする。だとすると、今日が今日である可能性と、明日が明日である可能性はもっと低いのか。だって、最初に考えた考え方からして、昨日が昨日じゃなければ今日は今日じゃない。そして、今日が今日じゃなければ明日は明日じゃない。つまり、それかそれじゃないか知りたい所より前が多くなれば多くなるほど、いつかわからなくなるわけだ。明日はいつかを知るためには、今日がいつかを知る必要がある。今日がいつか知るためには、昨日がいつかを知る必要がある。じゃあ、どうやって、昨日がいつかを知ればいい。明日を知ろうとしたときみたいに、昨日に行くのか?いや、明日に行ってしまったときみたいに、昨日がおかしくなってしまうかもしれない。なら、自然に昨日に行ければ良い。あのとき明日がおかしくなってしまったのは、無理やり明日に行ったからだ。今日に取り残されてしまったのに、明日に行けなかったのに、明日へ行こうとするからおかしくなってしまった。自然に、時間の流れと共に明日に行けていたら、明日を知ることができたのかもしれない。明日がいつかをわかることができたのかもしれない。だから、今度こそ、自然に、流れと、共に、昨日に行くしかない。けど、時は不可逆だ。流れに乗ることで行けるのは未来だけ。今日の次、つまりは明日か明日じゃない所。それなら、流れに乗らないで周りだけ明日に行けば、ここだけが昨日になれるのかもしれない。明日が明日か確かめるために明日に行くことで、明日が今日になり、今日が昨日になるのならば、行かなければ良い。そうすれば、昨日にたどり着ける。ただ、こうやって行った昨日は、今日から行った昨日だ。もし、今いるのが今日じゃないとしたら、取り残されることでたどり着けるのは、昨日じゃないいつか。今日昨日今日明日という順番で進むことになる。そのとき昨日はどこにある。今日と今日の間。同じだけど違う今日。明日から生まれた今日と昨日から生まれた今日。

そこに、今日と明日の境目がある。

第三章「境目」
昨日っていつなんだろう。昨日は昨日か。
今日っていつなんだろう。今日は今日か。
明日っていつなんだろう。明日は明日か。
今日と明日の境目ってどこなんだろう。
昨日がいつかを知るために、明日に今日を終わらせてもらうとしたら、その境目がいつかを知る必要がある。そうじゃなければ、また、置いてかれてしまうかもしれない。いや、今度は置いてかれれば良いのか。明日と今日の境目で、明日が今日に、今日が昨日になるのを待つ。そして、昨日がいつかを知る。それが、残された手段。そもそも、今日が今日じゃなかったら全てが無駄になる。だけど、もう留まることはできない。今日と明日の境目を探そう。今日は、今の日と書いて今日と読む。ということは、今いるこのいつかこそが今日なのだ。このいつかの日付が切り替わるとき今日が終わる。たとえ、今日じゃないとしても。明日は、明けた日と書いて明日と読む。つまり、明けなければ明日は来ない。日が終わったとき、世の中の定義的には0とされる時、そのときは明日にはまだなれていないのではないか。今日から明日の空白の時間。それは一体いつなのか。今日か明日、どちらかの始まりか終わりが間違っているのだろう。眠ったときに今日が終わる。眠るまでは今日は終わらない。そう信じていたい。世界にとって0時か、太陽が上がったときに今日から明日に変わるとするのなら、その間を起きていればいい。そうすれば明日に行けずに、今日に取り残されたまま明日になる。そうすることで明日が今日になり、今日が昨日になる。時間が流れる。良く考えてみれば、明日が今日になって、今日が昨日になったとしても、昨日には行けないのかもしれない。自分がいるのは明日が今日になった場所にいるわけで、そこから昨日になった今日に行くのは難しい。というか、今の日、が今日か。どんなに日を越えても、自分と離れない限りは今日から逃れられないのかもしれない。世界とどんなにずれたとしても、自分にとっての今日は今日なんだ。

そして、今日の次の時へ

第四章「自分」
昨日っていつなんだろう。昨日は昨日か。
今日っていつなんだろう。今日は今日か。
明日っていつなんだろう。明日は明日か。
今日と明日の境目ってどこなんだろう。
世界が明日になっても、眠らなければ今日は今日のままなんだ。
今日がいつかはわからないけれど、今日が今日であることに変わりはない。今日が今日じゃないものになることはない。けど、今日は昨日や明日と共存する。世界の時間が進んでも、自分の時間が進まなければそこは今日のまま。だから、今日以外を知ることはできない。昨日が昨日か昨日じゃないかはわからないし、明日が明日か明日じゃないかもわからない。

今日は今日だけど明日はいつか




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