ミックスグリル@安堵騒音
きっと最初の1作目はつまらないと思います。漫画の1作目、小説の1作目、脚本の1作目。技術や知識では説明のつかない外れ値のつまらなさ。完成する瞬間を知らないから、次回作の想像ができないから、これが最後だと思って詰め込み過ぎる。こういった「1作目性」は完成までにかかる時間が長い創作物ほど顕著に現れる気がします。加えて、最初の1作と同じくらいつまらないのは、おそらく最後の1作です。これが最後だなんて思ったら冷静なアイデアの取捨選択ができる訳なくないですか? 良いモノづくりは、1作目性の徹底した排除にあると思います。スタートもゴールも考えちゃいけない。昨日も走っていたし明日も走り続けます。
皆さま、ご観劇どうも
先輩が拓いた2週間公演コントライブの土壌で、のびのびと好きな事やらせてもらいました。あとは1個下の後輩に引き継ぎます。留年し続けて幕府でも開くんじゃないかな。脚本書かなきゃと罪悪感を抱えて旅をする最中(前回の稽古場日誌参照)、コントライブをもう2回できるくらい余計にアイデアを出して途中まで書いてボツにしました。またやるもん。
楽しい忙しさでした。しかしながら本番で役者が1人体調を崩しました。最低です。押している作業スケジュールの中で同期には無理をさせてしまいました。こればっかりは過失。本人にも悔しい思いをさせてしまった。関係者、観客の皆さま申し訳ございませんでした。
それはそうと、僕にはやっぱりヘラヘラし続ける才能があります。そんなこんなで動じてやらないもんね〜〜〜。今回の座組はトラブルに対する柔軟性が高く、非常に助けられました。また、「こうした方が面白いけど次の動きに繋げにくいですよね。どうしますか?」など、理想的な面白さと現実的な進行をそれぞれ検討しながらの冷静な提案が多く、稽古を抜きにしても一緒にいて楽しい人たちでした。ありがてーぜ。
大きな設計図を広げては「アレもできないコレもできない」と頭を抱える人がいます。僕と何も変わらないです。ただ、アイデアの発案から上演までの作業の全体像はミックスグリルみたいなものだと思うようにしています。その瞬間食べているのがソーセージだったというだけの事で、これのどこが不幸だというのか。僕はいつだって好きな事をさせてもらえていて、いつだって置かれた環境に感謝しています。ずっとワクワクしてる。僕は毎日幸せです。
ここからは、安堵騒音こと僕が担当したネタ4本それぞれを書きながら考えていた事の全てです。メチャ長い。せっかく脳のシワを広げてなぞらせてやるのだから、今後似たような事を試みる誰かの役に立てば嬉しい。以下は脚本。動画もそのうち上げるから、観に来れなかった人はそっちを先に観て〜。
VRおじさん
高額VRゴーグルを買って引きこもってる後輩(頼んだら小道具としてゴーグル貸してくれた)をイジる為だけに書いたネタなので、それ以上の思い入れは無いです。構成について言及するなら、独自の世界観を持った不審者に通行人が常識人としてツッコむというタイプのネタで、キャラクター2人に見えている世界が異なります。「俺、コンビニの店員やってみたいからお前お客さんやって」で始まるコント漫才と同じです。僕は見えない登場人物が沢山出てくるコント漫才が好きなので、VRゴーグルをかけたキャラというのはコントライブと銘打ってコント漫才をやる口実です。言うなればコント漫才コント。稽古時間と衣装スタッフが許すなら、逆にVR側の登場人物を全員登場させて、オフィスが舞台の日常コメディみたいに始める。そしたらオフィスを縦横無尽に歩き回る人が出てきておじさんにツッコミだして、実はこの人とおじさんだけが現実の人だったっていう僕好みなどんでん返し展開。映画「マトリックス」みたいな。いずれにせよ見えている世界の差はネタになりうる。
料理番組
まさか1年生の女子が2人も出てくれるなんて思わなくて2人の為に急遽書き上げた。ハマり役だった。アイデアそのものは半年前くらいからあったけど、ほんと書いて良かった。理不尽な先生が変な要求をしてくる言葉遊び、ちょっと気になるサイドストーリー、それが実は先生本人だったという伏線回収オチ。どの箇所をどんな倍率で眺めても成り立つロジカルで優等生なネタです。日常生活で「単位どれくらい取れた?」と聞かれて「嗜む程度に」と返すボケを気に入っていてその延長で書きました。動詞には、限られた状況でしか使われず慣用句にもならないような奴らがいます。それを間違ったシチュエーションで当然のように言い出すと違和感がボケになる。それを刷り込んだ観客の頭に「炊くと対応するのは米だ!」と浮かばせた後の「ハザードを焚く」という裏切り。竹取物語のラストと同じ構成です。「不死の薬を持って行ったから不死山→富士山って言うんだろ?」と思わせて「武士が持って行ったので武士山→富士山」っていう。でも、この前ラーメンズのコントを見返していたら小林賢太郎が「ハザードを炊く」の言葉遊びしてました。くっそ〜。大抵の場合、思いついた言葉遊びは小林賢太郎かバカリズムかいとうせいこうが既に言っています。あとは相対性理論のやくしまるえつこ。
シークレットサービス
3分くらいの尺でありながらカロリーが高く、否応なしにアホな世界観を分からせるコント。隙が無くてどこに出しても恥ずかしくない。これで賞レース出ようよ。このネタの稽古中は「このシーンはね、別に怒ってる訳じゃないの、お腹が空いてるの。あと、君はそれも分かってて、確かに俺もお前の立場だったら唐揚げを食べたいけど、組織の者としては『今は待つんだ』と言わなきゃいけない立場だから、なんで分かってくれないんだ!て感じで…」とか、激ヤバ演出家になってました。ごめん。銃は映画オタクの兄に送ってもらいました。小道具代が浮いてマジ助かった。兄弟揃って映画オタクだから、小さい頃のごっこ遊びは割とこんな感じだったなぁとしみじみ。ラストで銃構えるやつがやりたかっただけです。悪党2人組の逃避行を描いたアメリカンニューシネマのラストって、しばしば警察に包囲されるんですよ。もうダメだって所で「お前との旅、悪くなかったぜ」みたいなこと言って銃を構えたらそれが静止画になってエンドロール。「え、この1秒後に死ぬじゃん。これで終わるの?」という哀愁がつきもの。決めポーズ後の照明カットアウトと流れ続けるスーパーの店内BGMでこれを再現したかった。要するにだけどスーパーの2人組も例に漏れず。
いつかのヒーローたち
僕が通う小学校では、給食当番が割烹着を洗ってきて次の人に回すというルールがありました。ある時、僕のところに回ってきた巾着を開けると、ボタンが互い違いに留まったヘンテコな割烹着が出てきたので、それを広げて「いやいや、どんな畳み方やね〜ん」とチョケました。そしたらそこそこウケたのですが、しばらくしてから隣の席の女の子が泣き出し、僕はクラス中からとんでもねえ非難を受けることになりました。しょんぼり。人を笑わせようとした行動で誰かに寂しい思いをさせてしまったとき、僕はとても悲しくこの上なく悔しい。意地悪なネタを書く時は隣の席のあの子を思い出します。「脚本家の性格の悪さを感じた」みたいなアンケートが多かったけれど、総じて楽しんでいただけたご様子で安心しました。普遍的なパーソナリティをボケにするのは危険です。人の振る舞いをボケにするべき。その上で実在する人間に「これは自分の事を言っているんだ」と思わせない配慮をします。犯人探しみたいな空気による孤独は誰であれ耐え難い。今回のネタで言うと「起業する嫌な奴」を扱っていますが、起業そのものを単体で否定はしていません。その他の振る舞いでキャラクターを定義して「(こんな感じで)起業する嫌な奴」にしています。観客がその都度ツッコミ側に回れるよう気をつけました。実際、僕の地元にはこんな感じな人が沢山いますが、彼らに見せてもギリギリ笑ってくれると思います(ギリギリね)。球技が卓球以外無くなった地域という小さな設定は、ボケに設定をつけてしまう僕の悪い癖でありつつ、フィクション性を僅かに担保しています。僕の地元には球技があります。また、最もシンプルな逆転物語の例ですが「中学時代、運動部にいじめられていた文化部が大人になって社会的地位を手に入れる」とか。弱者による一方的な勧善懲悪みたいなやつ僕は苦手です。その為、登場人物を全員小さい人間(部分的に間違っている人間)にしました。主軸はパズル部による妬みと寂しさの話です。1の「卓球部が起業とかするなよ」といったセリフはパーソナリティを叩いているようにも見えますが、明らかに発想が飛躍しているので観客が「おいおい、そんなことないだろ」と心の中でツッコミを補完してくださるかと。どうか誰も泣かないで。構成の話。1の入店から始めようと思っていたのですが、どうしても飲み会の盛り上がりが嘘くさくなってしまうので、思い切り入店シーンをカットして「笑ってコラえてシステム」を採用しました。「呼んできたのが誰か」を考えている時って、必ず少し静かになってから盛り上がります。これは使いやすい。「誰?おれ会った事ある?」の一言で状況が分かるし。「噂話をしていた本人が登場する」という流れのフォーマットは沢山あるでしょうけど、居酒屋でゲスト当てしてるシーンで始めるのオシャレじゃないですか? みんなもこのフォーマット使って良いよ。
タイトルははじめ「かつてのヒーローたち」にしていたのですが、20歳前後の僕たちが「昔は良かった」みたいな哀愁と未来への仄暗い絶望を抱えていたら笑い種です。これから誰が成功するかなんて分からないし、何をもって成功とするかも人によって違うし、過去と未来の両方を指す言葉がないかと考えて「いつかのヒーローたち」に変えました。
僕たちはまだまだ道中でいられる。
そんな気がしてきませんか?