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乳業への憧れ、人生の転機は小岩井農場への視察 創業者山村定次郎とは

山村定次郎とは

創業者 山村定次郎は兄と姉の三人きょうだいの末っ子として1880年(明治13年)に生まれました。父親は北畠の家臣で、松阪市の近くの合戦に敗れ、明和町の御糸(みいと)に逃れ、その地で牛や馬、家畜の仲買人をして暮らしていました。その環境もあってか、定次郎は1919年(大正8年)度会郡御薗村で牛乳屋をはじめ、ほどなくして伊勢市大世古に広い土地を借り本格的な山村牧場を創業しました。

人生の転機、小岩井農場への視察

その創業期、定次郎に最も大きな影響を与えたのは小岩井農場への視察でした。定次郎は同業者と2人ではるばる岩手県まで出かけ、その広大な牧場と設備に感動し、乳業への大きな憧れを胸に伊勢の地に戻りました。その時の話は何度も親族に話し、胸を躍らせていたようです。その後、事業は徐々に軌道に乗り、従業員も雇い牛乳配達を開始しました。

乳業への憧れを胸に

昭和に入り、定次郎はますます忙しい日々を過ごしました。朝は4時に起き、搾乳、瓶詰め、殺菌し、その後すぐ各家庭に配達します。またそのころ、牛乳は乳児と病人のための完全栄養食品でもあったので、配達は一日も休むことができませんでした。それだけでなく、牛乳は腐敗しやすいため、管理・衛生の面でも苦渋の日々でした。そんな牛乳を毎日1本30日配達しても、大した儲けはなく月1円ほどでした。しかしながら定次郎の乳業への憧れは強く、和牛に加えホルスタイン種を数頭買い、大切に育てました。外国産のホルスタイン種は顔もよく、毛並みも美しく、加えてたくさんの乳を出すため、自慢の乳牛でした。あるときの品評会で入賞した際には、写真屋に出張してもらい、牛と並んで記念撮影をするなど、歓喜の一幕もありました。その当時は人間でも写真館に出向く時代だったので、その喜びの度合いがうかがえます。

山村牧場のホルスタイン種

受け継がれる「進取の精神」

この創業期において、定次郎は家族との度重なる死別を経験しました。しかしながら、小岩井農場で感じた、強くそして大きな憧れを胸に事業を牽引。1959年79歳で息を引き取った後も、定次郎が体現した進取の精神は二代目鹿雄、そして三代目豊裕へと引き継がれています。

1930年台山村家写真、一番右は創業者定次郎、一番左二代目鹿雄
1960年代の山村定次郎


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