私がPODCASTを始めたわけ
2022年の暮れからモヤモヤとワクワクの混ざったような気持ちでいたことがあった。
「答えが出ないなんてわかってるけど、そういうことを誰かと話したい」
思い立ってから、そんなフワッとしたお願いに付き合ってくれる人はいないか探した。
コロナ禍もあって頻繁ではないが年に数回飲みに行って楽しく笑って話したり仕事のモヤモヤを吐き出したりする仲間はいる。旅行も行くし、シンプルに時々「逢いたい」という気持ちになる。
でも違うのだ。彼らといる時間は貴重だ。だからこそ湿っぽい空気にはしたくない。
何度か試してみたことはある。飲み終わってコーヒーでまったりしている時に言ってみた。
「エピソードを語るのが苦手なんだけど、みんなどうしてるの?」
みんないい奴。話はちゃんと聞いてくれる。が、何と言葉を返していいのか戸惑っている様子が伝わってきた。
もうこの時点で「やっちまった」と思った。が、このまま終わらせると余計に気持ちが悪いから続ける。
「面白かったこととか腹が立ったことはもちろんある。でもそれを人に伝えようとすると上手くできない。そもそもあんまり覚えてない。だから例え話も苦手だ」
「へ〜、そうかぁ?そうでもないと思うけど」
「考えたことないわぁ」
みたいな反応だった。と思う。
これもはっきりは覚えていないのだ。
でもモヤモヤの気持ちだけがずっと残る。
多分、彼らは当たり前に出来ているのだ。だからわざわざ意識なんてしない。
そらそうだ。
毎日自転車に乗っている人に「どうやってるの?」と聞いても多分困る。
でも。でもだ。
私はそんなことを話したい。
みんながどうやって自転車に乗っているか。
それは人体力学的な科学の視点でもいい。
どっちの足から乗る?それはなぜ?でもいい。
乗っている時は何を考えている?でもいい。
私はエピソードを上手く話せるようになりたいわけでなはい。
なれたらいいなとは思う。
でもなんとなくだが、向上はしても達人にはならない気がする。
競輪選手になりたいわけではない。
ママチャリでいいのだ。
いや、ママチャリの乗り方を知りたいわけでもない。
自転車に乗るときの頭の中がどうなっているのかを聞いてみたい。
会議みたいに付箋に書き出してホワイトボードに貼り合いっこしたいのだ。
ここまで書いてPODCASTの文字が一度も出てこないことに自分でも驚く。
自分が今、大人なのか子どものままなのか分からないけれど、仕事では何かしら判断し一旦の答えを出すことを数分単位で求められる。
気のおける仲間とも飲みに行けば場が白けるような話をするわけにもいかない。
家では妻に話をし出すと数秒ごとにもうすぐ4歳になる娘の横槍が入る。
かわいい。
あなたは確かに、かわいい。が・・・
コロナ禍になってPODCASTと出会ってからは、もっぱらイヤホンの向こう
の語り手が友であり先生だった。
大好きな番組がたくさん出来た。
言い過ぎでなく、彼らの声が僕の救世主になった。
歴史・哲学・宗教・社会学・文化人類学・政治・経済・・・
中学や高校の時にこんな世界と、この面白さともっと早く出会っていればと悔しい気持ちまで湧いてくる。
ただの出勤時間が勉強タイムに変わった。もう少し頑張れるかもしれないと思った。
そうこうしてPODCASTと出会って3年が経とうとしてる頃。
次はインプットばかりでアウトプットが出来ない歯痒さを感じ始めていた。
ちょうどその頃「哲学対話」というものと出会った。
ものすごくやってみたくなった。
そして、話は冒頭に戻る。
「フワッとしたお願いに付き合ってくれる人」を思い浮かべた時、なぜか1人だけすぐに思い浮かんだ人がいた。
思い切って20年ぶり連絡してみた同級生(トミ)は私の話を真剣に聞いてくれた。
こうして始めた日曜朝の対話。
40歳間近の同級生ふたりが、日々の生活の中で感じる答えのない問いを真面目にフリートークしながら「まとまらない」を楽しむ時間。
#10までいった。
楽しい。
https://open.spotify.com/show/5B3eb5J1Sp5FCmH8K00pQP?si=8f14ce1bd3d147cd
見出し画像はダニエルさん
素敵なイラスト、ありがとうございます。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?