音楽の楽しみかたが変わってきたことを考えると自動車がエンジンを死守するのは難しいという話
いま自動車業界は電動化に向かっているというのは世界的な流れ。こうしたトレンドをロジックとして正しいかどうかで評価すべきという視点もありましょうが、企業の生き残りという視点でいえば正しいか正しくないかではなく、波を読むことのほうが重要なはず。その波を生み出している原動力がカーボンニュートラルというのも、また知られているところでありましょう。
その意味では、トヨタがモータースポーツにおいて、ほぼゼロエミッションといえる水素エンジンにチャレンジしたのは、手持ちの技術を増やしておくという点においては評価すべきでしょう。しかし、それをもってエンジンは生き残るという風に感じてしまうのは、それはそれであまりにも素直というか、エンジンへの思い入れが強いような気がしないでもなかったり……。
たしかに、日本政府は水素社会を目指しております。水素の用途は燃料電池による発電だけでなく、火力発電として使うことも想定しているのでした。そう考えると、自動車も水素を燃やして走るというのはけっしておかしな話ではなく、トヨタのチャレンジというのもカーボンニュートラル社会の実現に向けた手の一つとして評価されてしかるべきではあります。
しかし、その開発の背景に「エンジン関連企業の生き残り」みたいな狙いがあると聞くと、それはちょっと違うのでは? と思うわけです。たしかに自動車産業は日本の主力産業であり、その雇用を守ることは日本社会にとって重要です。とはいえ、機械というのはシンプルな方向に進化するものであって、その視点からすると水素エンジンを開発することは流れに反しているとも思うわけです。
たとえば音楽を楽しむためのハードウェア。
ご存知ない方も多いでしょうが、かつてはレコードが主流でした。ドーナツ盤とも呼ばれたレコードはDJプレイするためのものではなく、庶民が音楽を楽しむための入れ物だったのです。それを再生するのがレコードプレーヤーでモーターとレコード針が最低でも必要で、レコード針は消耗品でありました。さらに曲を飛ばすためにはレコード盤面をよく見て、曲の切れ目の部分に針を落とすというテクニックも要したのです。
それがCD(コンパクトディスク)の登場により、消耗品はなくなりますし、曲を飛ばしたり、リピートするのも簡単になります。カーオーディオとしても手軽に使えるようになりますし、ハンディタイプのCDプレーヤーも登場します。
そんな時代がしばらく続きましたが、現在ではCDで音楽を楽しむというのは少数派でしょう。当初はインターネット経由でパソコンにデータをダウンロードして再生機に入れるという手法、そして現在ではスマートフォンでダイレクトにデータにアクセスできるようになっております。カーオーディオでもスマートフォンとBluetooth接続して音楽を楽しむというのが主流でしょう。
このようにどんどん利便性が上がり、ハードウェアとしてもシンプルになっていくのが多くの工業製品の進化における流れ。水が高いところから低いところにながれるように、こうした進化はどんな工業製品にも共通する真理であると考えられます。つまり、自動車においても電動化シフトにより部品点数が少なくなるというのは、抗えない流れだと思うのです。だとすると、雇用と優位性を維持するためにエンジンを守るというトヨタの判断には疑問もあるのでした。
もっとも、トヨタは水素エンジンに賭けているわけではなく、冒頭でも触れたように選択肢のひとつとして捉えているでしょうから、会社が傾くほどの賭けではないと思いますが、さて?