(14)救護施設に来た経緯③
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「僕が生活保護を受けるに至った経緯というのを知ってもらわないと話の内容に入り込めない」
執筆者本人が生活保護受給者に転落した経緯、背景というものを理解していただくべく記事を執筆した。
執筆者の意向により、しばらく無料版を公開していくので気軽にお読みください。(山本星海)
(14)救護施設に来た経緯③
資金問題は切実だった。
病気になって、それでもしばらくは会社から5割程度の給料が振り込まれていたので生活はできていた。
しかし1年以上休むと当たり前の話だがほぼ貰えない。
貰った金額は家賃と光熱水費を払ったら終わる程度なので、ここから超絶赤字生活が始まる。
もちろん実家に援助は頼めない。
頼んだところで助けてくれるような親父でないことは説教を受ける前から知っている。
そこでクレジットカードの登場。
「また働けるようになったら頑張ろう」とか思いながらすげえ使った。
そんな中で病気の改善も見られず、資金難は続き、そういった生活を3年くらい続けていって、いよいよ精神的に限界がきたんだと思う。
本気で死のうって考え始めた。
不思議なもので「もう無理だ…死のう…」とネガティブ感情にはならず、「よし!いっちょ死んでみっか!」という前向きなものだった。
こうなると人間は加速度的に人生を転げ落ちる。
だってどうせ近いうちに死ぬんだし好きなもん食べて飲んで遊んで、今を楽しもうという感覚になる。
やけくそ状態である。
当然病状も資金状況も最悪なことに変わりは無いので、現実はただ悲惨になっていくだけである。
そしてその時は死のうと思っていても、いざ死のうというタイミングはなかなか来ないし、その前にとりあえず精一杯もがく。
仕事も復職と休職を繰り返したりしながら資金を確保。
消費者金融も自転車操業状態で借りまくる。
それでも足りないのでパチンコで何とかしようとしたり、「負けたら飯抜きで頑張る」と誓っていた鉄の意思も、腹が空いたらそんなものに意味は無いのでまた借りて生活する。
こういう状態になるまでに1度だけ家族に生活資金が苦しいという話をしたが、結果として家族間で大モメするだけで1銭の援助も無かったので諦めていた。
当時もし闇バイトの話があったらめっちゃめちゃ手を染めていたと思う。
手を出さなくて本当に良かった。
こうして生活状況はどんどん荒れていった。