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第17段 何もしないことをしに行く

大抵の人は、旅に行くと言ったら、
何かしようと思って行くだろう。

「鎌倉の大仏を観に行く!」とか
「スカイツリーの展望デッキに
 登るんじゃ!」とか

兎にも角にも目的、目的、目的の大連呼。


疲れませんか。


目的って、そんなに大事ですか。


(^O^;)/そらそうや。
  目的がなかったらあかんがな。

そういう、常識人の常識的な意見が
聞こえてくるようだ。

かく言う私もそうだ。

とある休日を、特段の目的も持たず、
ただダラダラとユーチューブを見て
過ごした日には、
何というか途方も無く虚しい気分になった。


「目的も持たずに過ごした!?」

「限りある人生、そんなことでいいと
 思っているのか!?」


そんな常識人たちの重苦しい説教が、
どこからともなく聞こえてくるような、
暗鬱とした一日の終わりを
迎えたのであった・・・。


いかに日頃、目的はかくも大事である!
という価値観に洗脳されてきたかが
わかるというものだ。



だが先日、何もしないことをしに行く、
という、禅問答のような考えを
人から聞いた。


なるほど、その手があったか!!


目から鱗が落ちた。


バケーション先で、
何もせず優雅にくつろぐ。


何というか、いかにも欧米のリッチマン
あたりがやってそうなイメージだ。

良いじゃないの!!
これはナイスアイデアだ!!


貧乏人は、とかく動き回りたがる。

観光名所には行きたがるし、
渋滞や行列にも並びたがる。


私は、この際そうした貧乏人根性を
打ち捨てて、一人修行僧のように、
何もしない旅に出掛けてみることにする。


基本、何もしない。

どこにも行かない。

なにものにも囚われない。

かといって、私などはまだまだ
「何もしない」修行僧としては
未熟者だから、
その「何もしない」ということ自体が、
苦痛に感じることもあるに違いない。

だから、先程決めた、
どこにも行かない、何もしない、
という決め事にさえも、
縛られないことにしよう。


言うなれば「テキトー」である。


所詮は私も、忙しくしていないと
死んでしまうような、
どっかのウサギのような
イチ小市民に過ぎない。


無性に何かやりたくなったら、
その衝動に突き動かされるがまま、
行動してみても、
意地を張ってテコでも動かない、
というのでもよい。

どちらでも、お好きな方を。

何かしても良いし、しなくても良い。

どっちでも、ええ。

フリーとは、こういうことか。

どこかに行ったら、行った先でも自由気まま。

何かを見に行かねばならない、
あれはやっておくべきだ、
何かを買って帰らねばならない、
などといった一切の呪縛から
解き放たれてみよう。


気の向くまま、足の向くままに歩き、
目に留まったものに
ふらりと近付いてみたりする。


全ては自由気まま。
そんな旅を、今夏計画してみる。

7月23日から2泊3日で近場のホテルを
予約してみた。
ガッツリオリンピック連休のさ中という
束縛の中で選んだ日程だ。

その方が、職場の連中に

「こいつ休みを取って旅行でも行く気か!?」

などと余計な詮索をされずに済む。

隠密行動を成功させるためには、
近しい者にこそ黙っておかなければならぬ。

昔から、ナントカのためにはまず味方から、
と言うだろう。

うまい具合に誰にも気付かれずに
行って帰って来れたら痛快だ。

人知れずほくそ笑んでいる
自分の姿が目に浮かぶ。

実際、その旅に行ったら、
その様子をまたnoteに上げたり、
上げなかったり・・・

全ては私の気の向くままである。

210620初稿
210623付け加え
210708書き足し推敲最終校正

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山本 星海
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