ペヨトル興亡史Ⅱ⭕カフカ◉弟◉ソーシャルワーカー

…部屋は…螺旋階段を降りたところにある…
え、そんなことないでしょう。聞き返そうと振り返ると、踵を返した婦長の後ろ姿が遠ざかっていった。ホントに? 螺旋階段の降りたところ…? 聞き違え? 病院の外に出て、螺旋階段を探したが、もちろんみあたらない。建物から地下に?行くの? Kはたちまちに大谷石採掘場の螺旋階段を思いだした。25メートルの厚さの床、25メートルの空間、また25メートルの床、この組み合わせ3層構造の巨大な宇都宮一の大谷石採石場は江戸時代から続く名門の鉱山。富士山爆発の火山灰が1層になって岩盤を形成しているので地震はない。無菌の空気は湿度99%。ときに巨大空間に霧が発生し雲になる。採掘場のオーナー渡邊は請われてアートを支援した。山海塾の公演や、ンディウォーホールの展示。
無塵無菌の空間は、エントロピーが低く、切り花はそのままで何年も萎れず、外に出すと花開いた。超無菌室内部と同じで、思考の動きも鈍くなる。瞑想が楽になる。高所恐怖症に係わらず、Kは採掘場にかよい大谷石による[無]を体験しようとした。25メートルの厚さの床に穿たれた螺旋階段を降りていく。螺旋階段の廻りは大谷石の壁25メートル、そこを過ぎると25メートルの空間を天井から床までの螺旋階段。下から見たら、天井からKの足がにょきっとでてくるのが見える、だろう。上から見ると足元に25メートルの高さの広い空間が足元に拡がる。吸い込まれる。ぐらぐらする身体を持て余しながら降りていく。最深部にたどり着いて、そこを奥まで進むと、江戸時代の露天掘りの壁に突き当たる。山頂から穴を開け掘った部分だ。天井に最初の穴が穿たれている。そこからの太陽光は日々地上に地球回転の奇跡を描く。孔から射す光は目の前をゆっくりと動いていく。孔からは月光も射す。Kは泉勝志と折田克子のために『月光浴頌』を書き下ろした。ここで上演するための。後に宇都宮一帯に岩盤崩落が起き実現はしなかった。
ある日の午後、採石場の最深部から120メートル一気にあがる工事用エレベータで、山の裏側から出ることになった。裏口を出るとちょっとした平場があって、プレハブが建っていて、近くを歩くと坊主頭の男が出てきた。
滑川五郎。山海塾の初期メンバーの滑川五郎だ。山海塾の遠征中にロープが切れて撃落死した森田慶次の紹介で出会った。森田慶次は、夜行館の狂気役者・守鏡丸の友人で山海塾の仕掛けを担当していた。Kは学生の時に夜行館東京公演の小屋掛け芝居を手伝ったりもしていた。滑川五郎は、文芸座ル・ピリエで山口椿の『色葉恋流鼠』の上演をもくろんでいた。ああしたい、こうしたいの揉事でまとまりが着かず一ヶ月前に、Kは急遽演出を頼まれた。ほぼ無理やりに。Kは喜んで引き受けていた。舞台一面をプールにして水を張り、ラストの場面まで見えないように上に合板を張り、最後板を全部はね上げると、裏に山口椿描く六代目菊五郎の死絵6枚が屏風状に立て掛けられるというもので、その中を土左衛門になった滑川五郎と切腹パフォーマンスで知られていた早乙女宏美がともにふんどし一つで袖の楽屋まで流れていくというものだった。体力のある滑川五郎は5分近い無呼吸に耐えたが、早乙女宏美はもう少しで救急車、霊柩車ものだった。リハの時に入れた水からは酸素が抜け、いわゆる腐った水になっていて、伊呂波文字を墨で描かれて皮膚呼吸できなくなった早乙女は唇まで紫の死人の肌をしていた。滑川五郎は、その後も自主公演を積み重ね、借金も重ね、姿を消した。なんでここにいるんだ滑川…。渡邊さんにかくまってもらっているんだ。演出料をまだ払ってなかったよね。ここで今、踊りを教えているんだ。今度舞台をやるからその売上で払うよ。コーヒー?好きだったよね。椅子好きに使って…。舞台やるときまた手伝って…。まだやるの?…。

どうされました? その椅子使って下さい。ソーシャルワーカーがKに声をかけた。建物を出て迷い、受付に戻り、そこから二度たらい回しされて、ようやく建物と建物に挟まった小さな扉を潜ってソーシャルワーカーの部屋にたどりついた。脇には非常用の螺旋階段が病院の屋上にむかって延びていた。あ、これか…。客用の椅子がひとつ小さな机がひとつ。両手を机の上に置いて、ソーシャルワーカーは、「テープは回さないで下さい。メモはかまいません。」と言って椅子をすすめた。私は病院に雇われていますが、社会的に独立した立場です。あなたの立場にも立てます。そして両者を調整します。
だいぶガードが固いんだな。どうやって話そうかな。自分の前に窓口は常に開いている。いつもそう思って仕事をしてきた。窓口には親和のあるこちら側に立つ人がいる。探して話す。それがすべて。相手の会社の大きさは余り関係ない。Kにとって仕事先の窓口の担当者に親和性があれば、大きい仕事でも自由にできた。西武美術館『ボイスインジャパン』、筑波博ジャンボトロンでの『TVWAR』(坂本龍一とRTV)、西武百貨店の雑誌『WAVE』…でもなぁ。最近そうでもないんだ。今回はどうなるか。でもどうにかしなくっちゃ。Kは気を取り直して話しはじめた。
分からないうちに、自分は真二に命令されて、ただ母親を連れて行く役割になっていたんです。真二…、あ、弟の名前ですが、清泉女子大で国語の教授をしていますが、…何年も前から、母親のお金全部を、母親に頼まれたと言って、弟は自宅に持ち帰っていて、管理して、母親には月に3万円の現金を渡しています。母親は僕に、どうにか取り返して欲しいと言っていますが、弟に伝えても…あ、直接は電話でないんで…メールとかたまたま居合わせた嫁さんに伝えたりして…でも嫁さんは、私は分からないので真二さんに聞いてくださいと…逃げるようにいなくなります…弟はお金を持っていった理由についても、もっていたったことについても質問に答えずに3万円でたりているので、口をだすなとだけメールで返ってきます…真二は、全部を仕切っていて、介護もヘルパーと50歳を超えて婚活で結婚した嫁さんにまかせて、私を介在させないようにしてますきています。弟は介護に入ってからはほどんど実家に行っていないと思います。会ったことがないですし母親は弟はずっと顔を合わせていないと言っています。二月に一度、母親を近くの病院に連れて行くことだけが、許されています。母親が兄ちゃんに会いたいというから頼んでいるんで、必ず、決めた日に行ってよ。他の日は、ヘルパーがいるから行くちゃ駄目だよ。仕事の手順が狂って困るんだから。と、そんな感じです。
どうして弟の言うことを聞いてしまうかと、今になっては思いますが、上から言われると聞いてしまう、自分の性格を良く知っていて、弟は僕を差配するようにオーダーだけを言ってきます。母親は少し認知が入って、そこを狙って上手に弟がお金を支配し、それによって母親を支配するようになりました。元々、母親は、人を支配的に…まぁ本人はそう思っていないのかもしれませんが…命令して思うようにしようとしてきました。僕は、事なかれに言うことを聞いてきました。弟がどうしていたのか細かくは知りませんが、対立していたのだと思います。
ところがお金を抑えられて一変しました。認知もあって自信満々だった母親が、気後れし、弟の言うことを結果、聞いてしまうようになっていました。元々どうしたいという意志の少ない、短歌は作っていても家庭の主婦だったのかもしれません。僕は、一方的に言われる母親と、そんなに積極的に関係をもっていたわけではないのですが、弟に支配されるようになってからの母親とは、話をしていました。補聴器を入れたらとか、認知の検査を受けたらというのを何度か母親に説得しましたが、ことごとく弟につぶされました。必要ないと。自分がそう判断した、医者もそう言っている、と。一番の心配は食事をしなくなっていることです。独りでいるので食が進まないようだし、もともと人と巧くつきあえる人ではないので、異常なくらい人と巧くコミュニケーションがとれないんです。もっと怖いのは、今回の診断でも聞きましたが、カリウム不足、栄養不足、水分不足で…ヘルパーさんに粗相を見られるが嫌で水を飲まないようにしているんだよと、言っていて、止めましたが今回のことを見ると続いているようです。そんな問題点を弟に投げるのですが、まぁ聞かない。
今回、医師から弟がもし退院できたら母親を家に戻すことも考えていると、それでは死んでしまう。もともとこのままでは危ないから、一度、相談させて欲しいと…弟の親でもありますが、自分の母親でもありますし…頼んでいるのですが、もうぜんぜん。再婚してから、南千住に住んでいて、ちかくにバッハという美味しいコーヒーやが有るから、時間は合わせるから真二さんあいているときに、話す時間をとって欲しいと、言っても、一度も応じなかった。なので、新しい嫁さんの結婚式でひとことふたこと話して以来、弟は話をするのをスルーしています。それ以前は、父親の入院時にまで溯るかな。そのときは、裏切り者とは言われて、父親の入院のときも話はできなかった。自分の望むのは、母親の行き先に対して、話をさせてもらいたい。ということだけです。
(なんかうまく話せてないなぁ…)
話しは分かりました。だいたいが家庭内問題ですね。全く相談にのらないわけではありませんが、少し触れにくい領域です。片方だけ聞くわけにもいかないので弟さんにも聞いてみます。Kは、少し声を落として、言った。「しかし…弟はなんというでしょうか。」
それは聞いて見なくては…分かりませんね。
答えなかったら
そこまてでてすね。こちらとしては配慮はしています。
ケースワーカーにも聞いてみて、それまでの介護について様子を聞きます。
とにかく結果を、教えてください。ケースワーカーに聞いた段階で。弟には、とにかく話をしたいから一回連絡なりあうなりして欲しいと伝えてください。
分かりましたと、言ってから、ソーシャルワーカーKを外にでるように促した。扉を出て振り返るとあっというまに閉まっていた。脇に螺旋階段が屋上にのびていた。非常用かな…。Kは螺旋階段を上がっていった。足元が透けて下が見えた。両親に手を引かれて、東京タワーを階段で登ったのを思いだした。子どもには堕ちるかと思う程の、透け度合だった。恐くて泣きながら、嫌だよー嫌だよーって言い続けたけれど許してくれなかった。両親は弱虫を許さなかった。泳ぎの上手な父親にプールで溺れそうにさせられた。東京タワーで巧くいかなかったので、今度はできたばかりの横浜マリンタワーに連れて行かれて、また階段で登った。マリンタワーの階段は、東京タワーより透けていてさらに怖く、Kは以来高所恐怖症になった。しかしそれは生来のこととと思っていた。入院した母親が、お前はほんとに弱虫で高いところが苦手そうだから東京タワーで練習したけど駄目だったね…と聞いたからだ。タワーが原因かもしれないと、はじめて気がついた。それは大谷石の採掘場で、螺旋階段を回ってるときにも思った。昔こんなことをしたことがあるなと。
屋上にでると、湘南の空が拡がっていた。湘南の青空は東京とはちょっと異なる。呑気さとにぶさがあって、それもまた東京に出て初めて気がつくのだが、今ではちょっと晴れがまし過ぎる。屋上をゆっくりと反対側まで歩いっていった。どうしようか? 階段室の扉があり、開けると暗い階段が下に向かって螺旋を描いていた、ここから降りたら出口にでるのだろうか。下のほうは真っ暗だ。降りて出口に着くのか分からない。でもそんなもんだ。まったくなあ、最近、外部と同期がとれていない感じがする。だからといって他に方法はない。今回は、待つしかないんだ。ぼくには。ちょっと苦手なパターンだ。
いつまでたってもソーシャルワーカーから連絡はこなかった。何か手をうたないと。

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