好きなことだけやって行く進め方について
「好きを仕事に」
そんなようなキャッチフレーズで当時の有名YouTuberが出演したYouTubeのCMが10年前くらいに流れていて、あれよあれよとみんながやりたいことを仕事にしてしまう世の中になってしまいました。我慢して仕事をしている人も、そんな人たちを見て「私も。」と一歩踏み出しやすい幸せの連鎖を感じています。特にお若い方ほど過去にとらわれずに活動されている方が多くて頼もしい限りです。むしろおじさんの私たちが活力をいただいています。本当にありがとうと言いたい。今年で10歳になる息子もその後社会に出た時に、このような先輩方が多くいてくれる事は幸せだと思う。
ある科学者が言っていました。
「科学の研究を突き詰めると、数学はもちろん、歴史や文学、ありとあらゆる学問に精通してゆく。それは歴史や文学を学んでも同じこと。ありとあらゆるものは繋がっている。」
理数系が苦手だからといって文系に進み、何某学を研究すれば、結局は苦手であった理数系も学ぶことになる。なぜなら繋がっているから。
好きなことだけやっているつもりが、突き詰めていけば回り回って苦手だったこともある目的のためにスラスラ行っているということなのだと解釈できなくもない。そう考えれば、苦手や嫌いであったことなんて気の迷いであったことに気がつく。そもそも学ぶことは楽しい。
そう気がついた時、知らないことを知りたいという欲求がDNAに刻み込まれていることを実感する。
さておき
かつてあった「我慢」との等価交換によって得られていた「幸せ」はどこに行ったのか。
かつての人生観、20世紀と21世紀の間の世界を生きていた私には、当時の幸せと今の幸せの価値観もかなり違うように思える。
今は限りなくフラットな世界に進んでいて、とてもキレイな世界を暗黙の了解でみんなで作ろうとしているように見えるのです。
好きなことをやっていく。
その中にはきっと嫌なことや納得のいかないことも含まれていて、それらを排除したり叩き潰して進んでいくのではなく、それらを享受し、例えば好きな色と嫌いな色の粘土をくっつけたマーブル色の粘土で好きな形を作っていくような作業が今行われている「好きなことだけやって行く」なのではないかなと思います。
こんなことを書いているとイタリアのバーリの海岸沿いの道にあった24時間営業の小さな小さなジェラテリアを思い出す。そこまで美味しいわけでもこだわった味でもないけど、夜中に食べることができるのはあそこだけで、夜遅く食べるジェラートはただただ幸せの味がすることを教えてくれました。
もっと書きたかったけど忘れちゃったのでここまで。
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