妹尾義郎 著 『光を慕ひて』
葦木啓夏の曽祖父、妹尾義郎著『光を慕ひて』読了。
新興佛教青年同盟を立ち上げ、佛教の立場から反戦平和活動、資本主義の変革を推進し、治安維持法違反で投獄された妹尾義郎の、若かりしときの過酷な闘病と信仰の記録。
第一高等学校、今の東大に四番の成績で入学するも、病魔に襲われ、同級生が立身出世する中で約十年、生死の境を彷徨いながら、自分の命を何に使うかに葛藤し、新しいチャレンジをする度に病気が再発して諦めざるを得ず、自暴自棄になり自死も試み、その中で信仰を深め、玄米菜食と自然療法と信仰の力で治癒。
その命を懸けた日蓮主義さえも、戦争に加担し資本家に迎合する現実に落胆し、日蓮主義を捨て去って、既存佛教集団の排撃と資本主義組織の変革を訴え、投獄され、嘘の自白を強制させられ、戦後は日中の平和のために尽力しました。
本書は、若き妹尾義郎の内面の葛藤が克明に詳細に、かつ大変美しい文章で綴られていて、当時ベストセラーになったそうです。
英詩や漢文なども引用され、教養の深さを感じるとともに、母に口答えして怒られ反省したり、少し体調回復して正月のご馳走を食べ過ぎて病状悪化して後悔したりと、可愛い面も随所に。
文書自体も美しく格調高く、感動します。
たとえば病魔に襲われ死を覚悟したときの文書が
「ああ、近づきつつあるや死魔の軍。さはれまた静かに寿命の長遠にして、先業所感の教示を諦聴すれば、現在の痛苦を忍受して以て聖き佛身をうるこそよけれ。幸や迷雲ふかき憂鬱の林にも、題目受持の功徳によっては、煩悩業苦の三道も法身、般若、解脱の三徳に転ずという聖光の有難くも漏れ出でて、そこともなう鶯の声の心地よく渡り来るぞこよなき」
とか。
これほどの才能の持ち主が、進む道を悉く病魔によって阻まれ、旧友たちがどんどん活躍する中で、自分は病気による激痛と精神的な挫折を重ね、それが故に強靭な意志が育まれたと口で言うのは簡単だけど、自分が同じ立場だったら果たしてそうした苦悩を強さに変えることができただろうか?
今病気などで苦しんでいる人たちに、きっと勇気と希望を与えると思います。
妹尾義郎の息子、つまり葦木啓夏の祖父は、この『光を慕ひて』を再出版したいと願っていたそうで、本当に価値ある書物なので後世に残したいと思うけど、果たして現代人に受け入れられるかどうか?
いや意外に、浅薄な書物ばかりの現代には、こんな重厚で美しい書物がヒットしたりして。
本当に壮絶な人生で、資本主義の限界が叫ばれる現代に、妹尾義郎を大河ドラマや映画や小説にしたらきっと多くの共感を生むだろうなと思いつつ、どうしたら実現できるのだろう?
どなたか映画や小説にしたい方、いませんかー??
(ちなみに僕は小説を書く時間は無いので、妹尾義郎の劇の脚本を書いてみました。それについてはまた後日)