朝から泣いた
朝から泣いた。
理由はTwitterで可愛いヤギの画像を見たからだ。
真っ青な、秋か冬の空の下に、優しい目をした1匹のヤギがいる。この写真のように何もないところで、浮世からは一歩距離を置いて、ハイジのように暮らすのはどうだろうか。
そう思ったら涙が出てきた。
ハイジは無理でも、小さな荷物と、机の上の観葉植物だけ抱えて、新幹線に乗っていきなり実家に戻るのはどうだろうか。そうしてしばらく、親に養ってもらうのだ。
私の記憶は、2021年11月末からいきなり2022年12月に繋がっている。
それまで私はもっと良い家に住んでいたし、仕事して働いて、小一万するご飯やら、ときどき百貨店でお買い物するようなことを楽しみに生きていた。
婚約者と同棲をするために契約した家も、23区のなかなか中心の方だ。
それが今はどうだろう。その家に住んでわずか10日後に破局。仕事も辞めて、東京のはじっこで、シャワールームしかない、15平米の部屋に住んでいる。狭すぎてモノは片付かないし料理もしづらい。
何も楽しくもないし幸せでも無い。
某メンタリストは幸せは人間関係で決まると言うから、こっそり友達を増やしてみたのだが、私は何を間違っているのだろう。
いっそ従前のライフスタイルに戻るのはどうだろう?いや、いっとき気分は上がるだろうけれど、今はもう疑いの目を持って見てしまう。そういうのって平成的な、いわゆる消費主体の価値観ってやつな気がしてならない。
それでも生まれてからずっと、私は街中でしか生きたことがない。浮世というか、新宿のビル群や人で溢れる交差点、歓楽街のネオンは、飼育ケージでもあり私の大好きな世界だ。
ハイジ化を望むと言うことは、今までの自分と本当のお別れを意味するような気がして、ヤギは可愛いけれど、涙が出てきたのだ。
でもでもでも今、甘ったれた気持ちで実家に向かったら、街中の話題はきっと「アレ」で持ちきりだろう。道頓堀に人が押し寄せて、どこもかしこも大騒ぎになる。
こんなんおもてる実家と違う……。
いよいよ身の置き所が無くて、今度は違う涙が出てきた。