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耳に届かないこと、目に映らないもの

電話のすぐあとで手紙が着いた
あなたは電話ではふざけていて
手紙では生真面目だった
〈サバンナに棲む鹿だったらよかったのに〉
唐突に手紙はそう結ばれていた

あくる日の金曜日(気温三十一度C)
地下鉄の噴水のそばでぼくらは会った
あなたは白いハンドバックをくるくる廻し
ぼくはチャップリンの真似をし
それからふたりでピザを食べた

鹿のことは何ひとつ話さなかった
手紙でしか言えないことがある
そして口をつむぐしかない問いかけも
もし生きつづけようと思ったら
星々と靴ずれのまじりあうこの世で

出典:『手紙』谷川俊太郎

なんだか「口にしたもんがち」のような今の世の中で、主張することが良しとされる世の中で、でも、口にしないことの大切さってあると思っていて。そこに尊さがあると感じていて。

発信力で物事が左右される時代。SNSで人の興味を一度引いてしまえば、一気に世の中の流れを支配する時代。便利だし、自分も踊らされることだってある。それを仕事にだってしている。

でも、「口をつむぐ」という形での「言葉」もある。思いや意思、信念、感情は時として、自分の身体や心から出力されなくて良い時がある。

音にして、文字にして届ける必要のない言葉。
音にして、文字にして、届けなくても伝わる言葉。

「日本人は自分の思いを口にしない」
そういうところでは語れない、「本音と建前」のその先にあるもの。

文字を仕事にしていて、何を言っているんだろう、とも思う。でも、私がこの地で大切にしてきたことは、そういうことだ。

地域のおじいちゃん、おばあちゃんが昔から当たり前のように大切にしてきた暮らしや風景に、「これはこんなにすごいんだ」、そんな主張の言葉はいらない。

何度かしか会ったことのない人に、仕事だけの関係の人に、納得のいかないこと、嫌なことを言われても、「なんでそんなことを言うんだ」「ちょっと待ってよ」、相手を傷つける言葉はいらない。

誰かが無償の愛を、信頼を与え続けてくれている時、「あなたはいつもこんなに愛してくれている」、そんな仰々しい言葉はいらない。

誰かの心の中に漂う言葉を、読み取れるだけの力をつければいい。
ただ、無償の愛を、大切な人たちへ黙々と返していけばいい。心でひたすらに、思い続けていけばいい。

そして時々、音にして、文字にして、今度は「届けなければいけない言葉」を表現する。それだけで、十分。

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