だいぶ西に帰る(山梨旅行)
帰りから帰りまで
吾輩は横浜市民である。が、この日は東京を歩いてから山梨に帰ることにした。
まず東京を、だいたい夕方まで歩いた。
日没を見送ったら帰る。東京テレポート駅にて埼京線直通電車に乗って揺られること23分、列車は新宿駅へ滑り込む。近隣の大学に通っておきながら新宿事情には疎いので「新南改札ってどこだよ」と思いながら降車、すると目の前のエレベーターがちょうどその新南改札へ出るものだった。迷うことを見越して真ん中の車両に乗り込んでいたのが奏功したらしい。
ニトリやハンズ目当てに二,三度くぐったきりの新南改札を、今度は観光の拠点として抜ける。買いそびれた水を入手しようと周辺のファミマを検索するが(ファミマの中硬水がいちばんおいしい)、慣れない都会では「150メートル」の表記が恐ろしく遠く見え、おとなしくバスタ新宿のデイリーヤマザキに頼ることにした。頭上の案内板に従って左へ、バスタ新宿につながるエスカレーターを上る。
平日定時後ということもあってか、待合室の座席は8,9割ほど埋まっていた。客の内訳はインバウンド6に対して僕ら貧乏学生4くらい、その他が1,2くらいの比率だっただろうか。移動手段に特急や自家用車を選ばなかった層だからか、客層もそれなりに限られるようだ。しばし施設内を見てまわったのちデイリーヤマザキにて「富士山の天然水」と「大きな旨辛豚マヨおにぎり」を購入、おにぎりを水で流し込みながらバスの到着を待つ。目当ては18:15発、富士急ハイランド・河口湖行きの高速バスだ。
バスは5分ほどの間隔で発着を繰り返す。18時10分発の御殿場駅行きを見送ると、すぐに河口湖行きが到着した。運ちゃんに高速バス予約サイトの画面を見せて名前と降車場所を告げ、前方窓際のシートに着席。まもなく発車したバスは雑踏に呑まれる新宿駅南口(もっとも新宿駅らしいあそこだ)を横目に走り、いつの間にか高速道路に乗っていた。
高所に向かうバスだけあって暖房が過剰なくらいに効いていて、半日歩き回った後の身体には堪えた。この時間のために有明ガーデンの丸善で買っておいた小説が、眠くて頭に入らない。
そんなとき、文明の利器・Apple Watchは音の出せない環境であっても振動で起こしてくれる(販促)。眠りの深い時にはあまりの不快さにバンドを引きちぎりたくなるほど、確実に目が覚める。適当に10分くらい寝て眠気を飛ばし、それからは快適な読書タイムを満喫した。体調によっては死ぬほど酔う日もあるが、今回の旅行にバス酔いが支障をきたすことはなかった。よかった。
とはいえ乗車時間は1時間45分、くつろぎ切れるほど長い時間ではない。陽子が右も左も分からない異世界を手探りし始めるころ、僕も右も左も分からない高所で降ろされる。
ほどほどに駅周辺を散策したらホテルへ向かう。終電には間があるのでタクシーが客待ちをしているかと踏んでいたが、見ての通り高速バスの去った駅前ロータリーはがらんどう。しぜん雪道をホテルまで20分強、歩くことになる。除雪されてアスファルトの黒が覗いている場所でも、街灯のほのかな光を反射する箇所はもれなく凍っていて、面白いほどよく滑った。
この後、すき家からローソンへ交差点を渡ったところの歩道で面白いほどよく滑り、比喩でなくひっくり返った。奇跡的に目立った外傷はなかったが、右腕が2日くらい鈍く痛んだ。雪国で暮らす人はたいへんだ。
食って風呂に入って飲んで寝る。風呂の名前は「天然温泉富士五湖の湯」だが、源泉は神奈川・湯河原温泉だった。詐欺じゃねえのかそれは。いい湯をありがとう。
起きる。
チェックアウト手続きなしで退館できるのも珍しい。ちょうど目的地行きのバスがホテル横の商業施設を経由するようなので、それに合わせて宿を発つ。とその前に、整髪剤がどっかに行ってしまったため「そういえば昨日ローソンに行くときにドラッグストアを見たな」とセイムスへ。しかし何も買わずにバス停へ向かう(なぜ)。
時刻表を見ての通り、本栖湖へ行くバスは日に5本しか出ていない。そう、今日向かうのは『ゆるキャン△』でおなじみ本栖湖だ。
ちなみに前日に決めた旅程である。旅程で旅を縛るのが好きではないのだ。
駅からホテルくらいまでは想像していたより「街」が続いていて、夜中でも犬と歩く女性や個別指導塾帰りの青年まで見かけるほどだった。人通りがあるために歩道も除雪されていたわけである。が、田舎もとい車社会では中心部を離れるにつれ、歩道は歩行者にとっての需要を失っていく。しばらくバスが走ったころには、並走する歩道も足跡ひとつない雪に埋もれるがままになっていた。
本栖湖までの道すがら、バスは富士五湖のうち二つ、精進湖・西湖を経由する。精進湖を通るのはこれが初めて。西湖は高校時代の合宿で行ったきりだが、マジで樹海と体育館しかねえゾ。山梨に四泊したのに小遣いの使途が自販機のリアルゴールドとアクエリアスだけだったのはいい思い出である。炭酸は大人気なので、最終日にはリアルゴールドすら売り切れる始末。
最強の青春時代である。今でも青は澄んでいる
50分ほどで本栖湖へ到着。「本栖湖」と一つ奥の「本栖湖観光案内所」のバス停があり、わからぬままに終点まで乗車する。バス停の横にトイレがあったので用を足させてもらい、「さて湖畔に向かうぞ」と湖の方向を示す看板を見つけるが、肝心の道は深い雪に閉ざされていて進みようもない。……。ごく短い距離だが、一つ前のバス停「本栖湖」まで歩いて戻る。
「本栖湖近道」と書かれた看板の示す階段へ。ここも除雪されておらず、何が近道やねん、と思いながら慎重に降りる。
やっとの思いで湖畔に辿り着いてからは、湖面と売店周辺をせわしなく往復したり、あてもなく歩いたり。こんな奥地でも先人の足跡が轍のように雪を踏み固めていて、そこを歩けば足元の悪さもいくらかましになった。慣れた頃にはもはや雪を踏むのが楽しくなって、ただ歩くために歩いていた。
湖畔は雪の照り返しで超明るく、最大輝度の高いProモデルのiPhoneでも画面を見るのに苦労するほどだった。日光そのものよりもむしろ雪の方が眩しく、目の下に手庇を作ることすらあった。
そういえば雲の動きがほとんどなかった。思い出したように時折湖面の方から風が吹き抜けて、風といえばそれきりだった。
本栖湖は深さ・透明度が富士五湖中一位らしい。なんとなくそういう湖に縁がある気がする。
音が少なかった。僕の歩く音、衣擦れの音、数分に一回車両が通る音、カラスの鳴き声、湖の水の音、樹上から雪が溶けて落ちる音、たまに吹き抜ける風の音。箇条書きで網羅できてしまうくらい。
暗かったら超怖かったと思う。
帰りのバスの定刻13時25分まで約3時間、そんな感じで過ごす。これを逃すと次は2時間後で、それが終バス。怖すぎる。定刻の20分ほど前になったら先の近道階段を上って、今度は終点じゃない「本栖湖」のバス停で待つ。
定刻を10分過ぎても来ないし、なんなら向かい側のバス停とどちらで待つべきなのかわからない……とそわそわしていると、見かねてか向かいの土産屋のおばちゃんが出てきて、反対車線のバス停で待つのがよいこと、バスはいつも遅れることを教えてくださった。ありがたいことこの上ないが、定刻を過ぎているだけにお店に入ることもできず、あまりに申し訳なかった。これを再訪の理由にしよう。
さらに数分待つと、ようやく河口湖駅行きのバスの姿が見える。本栖湖時点で僕含め乗客が2人になっていた行きよりは、ひとけが多いようだった。
さて、これも50分ほどで河口湖駅に戻れば、次の目当てはその河口湖である。駅から湖畔までは15分程度、標識にしたがってうねうねと山を降りる。観光客の多さに地形と、熱海によく似た雰囲気の街だった。
それっぽい神社を見つけたので参る。出先で見かけた神社には参っておくのがなんとなくの自分ルールだ。理由は特にない。
湖畔の繁華街っぽいところを抜け、遊覧船乗り場を含む観光客大集結スポットへ。人が多すぎるので遊覧船は素通り、写真右奥に見えている河口湖大橋まで30分ほどで歩けるらしいから、歩く。コースは湖畔を右回りにぐるっとだ。
と、遊覧船乗り場付近の駐車場を抜けると早速「展望広場」を示す看板が。例によって踏み溶かされた雪でゆるゆるな階段を、えっちらおっちら上る。
上りよりも用心して階段を降り、湖畔の歩道に戻ってもう少し行くと、山の影から富士山が覗く。
富士山との対面がかなったら、あとはもう写真を撮りまくってひたすら歩くだけ。道中で韓国人のおじさんに記念撮影を頼まれて「カムサハムニダ」って言われたニダ。お礼の言葉って耳馴染みがなくてもなんとなく伝わるのがいいですよね。
ところでこういうシチュってだいたい逆光で人が暗くなってしまうのだけれど、どうするのが正解なのだろう。
それから体感で15分ほどすると橋に到着。写真を撮りながらのんびり移動したから、遊覧船乗り場からは結局1時間くらいかかったかもしれない。
橋を渡り終えたら、もう駅に帰る頃合い。駅へ続く坂を登ると湖面はたちまち見えなくなる。
が、富士山はどこまでもついてきた。
30分ほどで河口湖駅に帰り着く。みんな富士山を撮っていた。
河口湖駅付近でバスを待ちながら、最後まで富士山との別れを惜しむ。
東京行きのバスにかき消されるように、密かに横浜行きのバスが到着する。横浜行きだけ駅内アナウンスがかからなかった(なぜ)。
乗客は行きと同じくインバウンドが過半数くらい、友達複数人で旅行する若者グループが残りの何割か。大学生くらいの女子の集団が寝たりYouTubeを見たりお菓子をシェアしたりと思い思いに「大学生くらいの女子」をしていて、車窓と小説の間で視線を高速移動させていたおじさんはしんみりしたよ。
夜に沈んで知らない顔をする知らない街が窓外を流れていく。建物の密度が高くなってきたな、と思った頃にはもう、左手のビルの隙間にランドマークタワーがのぞいていた。
まもなく高速道路を降りると、すぐ右にはぴあアリーナMM。そういやそんな場所だったね……。
旅行から帰ると、いつもの街がよそよそしい顔をしている気がする。ので、「まあまあ俺たち腐れ縁じゃないか」といつもの家系ラーメンを食べて仲直り。ここまでご飯を食べる時間がなかったから、お腹が空いていた。
腹ごなしも兼ねて、日中の河口湖より暖かい夜の横浜をぶらりと歩く。焼肉屋やコンビニでなくても、横浜の店はまだだいたい開いている。ヨドバシでイヤホンの試聴をしたり、有隣堂に十二国記の次の巻だけなかったり。そうしてじわじわと旅行の余韻が抜けていく。これが、「帰る」ってことなのだろう。
おまけ
誰やねんキミら。
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