深圳と上海の事件があって

深圳で日本人学校に通う児童が襲われて亡くなる、という悲しい事件が起こりました。また、上海では商業施設で通り魔事件があり、3人が亡くなり15人がけがをする、という事件が起こりました。犠牲者の冥福を祈るとともに、被害者の早い回復を願うばかりです。

上海での事件については、犯人の映像や姓、犯行の動機が報道されています。経済的なトラブルによる「社会への報復犯罪」とのことです。不幸中の幸いですが、日本人には被害者はいなかったようです。しかし、「無敵の人」(という流行語?があるようですが)、自暴自棄の人には、どのように備えればいいのかわかりません。

私見ですが、この二つの事件には、中国特有の事情があると思います。日本人学校の事件には、やはり反日教育(啓蒙?)があると思います。先日、知人の家で見た抗日ドラマですが・・・
①日本軍の将校がお寺を訪ねて、和尚さんに「戦没者追悼の読経を依頼」
②和尚が冷淡(というか無礼)に拒否
③日本軍の将校が怒って、お寺(と周辺)の破壊(+殺傷)を指示
④日本軍の行為に巻き込まれた人民がひどい目に遭う。
⑤その中で主人公に近い人間の子供が殺され、悲嘆にくれる・・・

これが史実に沿っているかどうかわからないことはもちろん、75年以上経って未だに第二次世界大戦で自分の国が酷い目に遭ったと国民に言い続けていることをどう判断していいのかわかりません。被害者側は忘れない、という理屈もわからなくはありませんが、中華人民共和国は日本と交戦していませんし、国として強調するべきは、1945-53年の国共内戦における勝利の方だと思います。国共内戦の勝利を宣伝することができないことが、その前の抗日戦争での勝利(というか苦難の日々)の垂れ流しにつながっているのは明白です。時々、「日本人は歴史を直視して過去を真摯に反省しろ」と言ってくる中国人がいますが、歴史を直視し始めると刀伊の入寇あたりで中国人の歴史観が崩れるのを承知しているのかは疑問です。

また、通り魔事件で思うのは、中国では共産党への「批判」ができないのが大きな原因になっていると思います。政治制度の違いは大きいと思いますが、より深刻なのは「政府への批判」の場が無いことだと思います。政権の転覆や国内での分裂を危惧する気持ちは理解できるのですが、政策への正当な批判ができない、というのは、不満のはけ口が無いということにもなるのではないでしょうか?この問題にも「無敵の人」が出現していますが、言論統制が強いので、あっという間にニュースが消えてしまいます。本人も拘束されて周辺にも圧力がかかるようです。

日本でも名誉棄損や不敬罪などはありますが、政策や人事への批判は認められています。選挙だけではなく、世論によって政策や人事が影響を受けることがあります。それが無いと、自分の境遇が変わる可能性が閉ざされ、また今後変わるかもという期待もしにくくなっています。個人の境遇が変わらなくても、社会が変わることで結果として自分も良くなるかも・・・、この可能性を感じられるのは、政府に対しある程度の言論の自由の保証があることだと思います。

百家争鳴を恐れず、自信を持った中国政府の方針転換が待たれます。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。


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