小倉城下町さんぽ 秋月街道㉔造化宮
神理教のある徳力山の頂上近くにある大元稲荷神社の手前に「造化宮」が祀られています。
手水舎の木額 「設神理以奨俗」(しんりをもうけもってならわしをすすむ)は明治17年10月、「幕末の三舟」の一人、山岡鉄舟より寄贈されたものです。
山岡鉄舟は幕末期の幕臣・剣術家、明治初期の侍従。通称・鉄太郎。千葉周作に入門し、幕府講武所で剣術世話役となる。1863年(文久3)幕府の浪士募集に際し取締役。68年(明治元)精鋭隊歩兵頭格、大目付を兼ねる。東征軍の東下に対し、駿府で西郷隆盛らと会見、勝海舟と協力して江戸無血開城を実現させた。維新後静岡県ほかで参事・県令を勤めたのち、72年天皇側近となり、82年宮内少輔を辞任。無刀流の創始者。(山川 日本史小辞典)
造化宮とは聞きなれない名ですが、祭神の造化三神は「古事記」によりますと、天と地が出来た時、高天原に初めて現れた神だそうです。
造化宮の裏手に芭蕉の句碑。
江戸時代前期、佐野三左衛門が八代出身の俳人で連歌師・西山宗因に続き松尾芭蕉の門に入り「其香」と号し、芭蕉に「行きて見む 花につくしの 嵐山」の句を頂きました。
孫の長三郎が句碑を紫川河畔に建立しましたが、のちに現在地に移設したということです。
山の一番上には佐野経彦の墓などもあります。
また、この山の南隅に「徳力秋葉神社」の社がありモノレールからもよく見えます。またモノレール下の側道から入ることができます。
秋葉神社は「火の神」。
火の神を祀っているのはこの近辺で銅を精錬していたからではないかと思われます。
この山は秋葉山、大鍋山とも呼ばれ、幕末の長州との戦い「小倉戦争」で台場が置かれました。
神理教を過ぎると間もなく桜橋。手前から左手、紫川沿いが旧秋月街道です。
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