小倉城下町さんぽ 秋月街道⑨片野周辺2
(地図を掲載しました)
三萩野2丁目の西蓮寺から南へ。すぐにモダンな大寺院浄土宗西山派「東岸寺」が見えてきます。
東岸寺は常盤橋の東側、高浜の岸際(旧船頭町大坂屋善助宅跡)にあったため、「東岸寺」と名付けられたと言われています。
のちに米町(現在のセントシティの隣、平和通り)に移転、昭和30年代に小倉駅が室町から浅野町に移転してきて東岸寺も現在の片野に移転しました。
この寺の地蔵堂には、斜めに切られたような線が入っている「お地蔵さん」が祀られています。このお地蔵さんを「身代わり地蔵」と呼んでいます。
江戸時代、小笠原家の家臣で朝比奈某という武士がいました。
毎夜妻が地蔵様にお参りに行くので、夫は地蔵様に祈願に行くことを理由として不義を行っているのではと疑い、祈願に行った妻を斬ってしまいました。
ところが妻は元気に帰ってきました。お寺の前に行ってみると、お地蔵さんが斜めに斬られて血を流していました。夫婦はお地蔵さんの血をぬぐって、身代わりになったお地蔵さんにお礼を言いました。
様々な願い事を聞いてこられたお地蔵さんですが、特に「浮気封じ」のご利益を求めてお参りする人も多いそうです。
コロナ禍の最中だったので、あまり直接訪ねたりはしなかったのですが、東岸寺の方丈さんご夫妻が作務の途中なのに、わざわざ地蔵堂の中に入れてくださり、いろいろお話をしてくれました。ありがとうございました。
東岸寺の北隣に曹洞宗「常徳寺」。
享保年間の開創で、境内には淡島大明神・地蔵堂があります。 本堂の両サイドにはお寺には珍しい狛犬が鎮座していました。
江戸時代、常徳寺の本尊「夢見観音」を祀る庵が豊後橋の南にありましたが、寛永年間の紫川の洪水を機に村ごと現在の地に移転したそうです。
常徳寺前の路地から大通りに行くと、不動院「水掛け地蔵」。たくさんのお地蔵さまが祀られています。
うどんウエストの真裏になります。
黄金一丁目から入りましたが、モノレール沿線からも行くことができます。
モノレールと道路が分岐するところのすぐ手前(ウエストの手前)に細い道があり、そこの路地を行くと「常徳寺」、その南に「東岸寺」があります。