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鷗外さんの「小倉日記」②小倉に着任

(明治32年6月19日の続き)

小倉に至りて、黒木、井上、仲木の三将官、川俣監督監等を訪ふ。達見に投宿す
兵僕島本四郎右衛門来り仕ふ。長門国豊浦郡農家の人なり。

徳山から蒸気船で門司についた後、九州鉄道に乗車して小倉へ。
「がらがらと音がして、汽車が紫川の鉄道橋を渡ると、間もなく小倉の停車場に着く」(小倉三部作の鶏) 

鷗外さんが赴任したころの小倉停車場(旧小倉駅)(明治30年)


職場である今の小倉城内にある陸軍の西部都督黒木中将、井上光第12師団師団長、仲木第12旅団長、第12師団川俣監督部長にあいさつに行きました。
西部都督黒木中将とは薩摩出身の黒木為楨(ためもと)中将、のちに日露戦争では第一軍司令官となり「坂の上の雲」にも出てくる猛将です。
仲木第12旅団長とは長州出身の仲木之植少将、第12師団川俣監督部長とは川俣国伝のこと。

第12師団があった小倉城跡。上の方は第12旅団
第12師団司令部と正門
井上光師団長


井上光師団長は山口県岩国出身、西南戦争では熊本、鹿児島を転戦、明治27年2月より欧州に派遣されていましたが日清開戦により帰朝し第2軍参謀長として戦役に参戦し功を立てました。その後32年 48歳で陸軍中将となり新設された第12師団長の2代目師団長に就任しています。
井上師団長は文学に造詣がふかく、鷗外さんにとってとても幸運でした。
また、小倉の老舗菓子店「湖月堂」の屋号の名付け親でもあります。

小倉の老舗菓子店「湖月堂」

「後に大将となる若き師団長井上光中将は碁を打つのが趣味で、菓子職人であった創業者の小野順一郎とよく対局していたようです。順一郎が屋号の相談をしたところ、その人柄を信頼し「湖月堂」と命名して下さいました。
順一郎から屋号の相談を受けたとき、古典文学にも造詣の深い井上師団長は、江戸時代前期の古典学者北村季吟の源氏物語注釈書「湖月抄」を思い出されました。紫式部は石山寺で琵琶湖の月を見、興を催し、まず「源氏物語」の須磨の巻に手を染めたとの伝説があります。湖月堂のシンボルマークは、その伝説に由来しています。」(湖月堂のホームページ)

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