小倉城下町さんぽ 秋月街道㉖古川
小倉南区西部⑭ 小嵐山~古川・加用編を書き換えました。写真は最新のものです。
広くなった紫川沿いの市道を南へ進むと左側に二市一郡新四国霊場古川地蔵堂。
古川地区は名の通り紫川の流れがあったところで、たびたび洪水に見舞われ、また子供が溺死する事故が多かったため、明治20年、災難除け地蔵を祀ったといいます。地蔵堂横の道を山のほうに行き右折すると、「山ノ神」があり、志井越えの峠道があります。
市道そばの住宅の角に大きな道標が建っています。正面に「南無妙法蓮華経 徳光山妙真寺」南面に「毘沙門道」左に「びしゃもんみち」と書いてあり、この道の突き当りに妙真寺があります。
「妙真寺」は宮本武蔵の養子で小倉藩家老・宮本伊織の寄進で承応元年に創建したもので、370年余の歴史を有します。宮本伊織の知行地は最も多かった時は4000石ありましたが、そのうち600石は徳光村にあったといわれます。本堂の隣に鐘楼と毘沙門堂、村民を守るための守護仏です。
ここに妙真寺ができる前には「大満寺」というお寺がありました。大満寺は元和年間に火事にあい小倉・魚町に移転、昭和28年、旧長崎街道沿いの清水(小倉北区)に移りました。
大満寺の本尊は「塩買観音」と言われています。
ある年、雪が連日降り積もり、大満寺では塩が無くなり炊事が出来ないでいると、商人が塩を担いできました。寺では、不思議に思い、商人に尋ねると、昨日ひとりの僧が来て「小倉城下の大満寺の僧だが、明日、塩がいるので届けてほしい」といって代金を置いていったと言う。このことから、ご本尊が行ってくれたのだろうということで、塩買観音と呼ぶようになったそうです。
山を越えて東側の志井にも「塩の道」がありますので、そこを通ったのでしょうか。
山際へ入った道脇の住宅地内に、猿田彦大神。建立は、明治10年となっています。少し上がると民家の庭に「地蔵堂」があります。
ここも二市一郡新四国霊場の地蔵堂で、本尊は地蔵菩薩です。
また、傍らに「駒繋(つな)ぎの碑」。村人は、馬つなぎ石と呼び、また馬頭観音とも言われています。古川城(椎山城)が山城であったため、姫等はこの石に馬をつなぎ、縁台や輿に乗り換えて、城に入ったと言われ、この場所を「姫下ろし」とも言われています。
お堂右には小倉戦争での戦死者を弔う無縁仏碑。中谷から高津尾にかけては小倉戦争の激戦地です。
民家の庭先にあるので勝手に入らず、一言声をかけて見学してください。
その上の標高222mの椎山山頂に「古川城」、志井の方からは「椎山城」と呼んでいます。応永6(1399)年大内盛見から攻められて落城したということです。
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