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小倉城下町さんぽ 秋月街道⑥香春口から寄り道・萩崎
ここでちょっと寄り道。
香春口からメディアドームの方に行ってみます。
香春口交差点からすぐ右手に「西宗寺」が見えます。
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資料によると、天正年間の開基で大正10年(1921)に小倉城下の寺町(旧:大坂町)より、現在地へ移転したとあります。
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この道をまっすぐ行くと「北九州市民球場」、ここには昭和6年まで、競馬場がありました。
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国道3号線に出て左折、北九州中央郵便局の南、メディアドームの北に萩崎町があります。
かつては萩崎町辺りまで海が入り込み「灰釜」と呼ばれカキ殻を焼いていました。灰釜で芝居興行がおこなわれた記録があります。
萩崎町は元「はかせ崎」といい、ここには文人や博士が多く住んでいました。
博士といっても、学者というわけではなく、陰陽師や八卦(はっけ)見に優れた易者のことでしょうか。八卦崎が転じて「萩崎」になったともいわれています。
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萩崎町の中心に「綿津美神社」、妙見宮の境内神社です。
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古い記録には「萩崎村に龍王社あり。正月16日の夕暮れに村中の者ワイワイと言って龍王社に至る、これを萩崎のワイワイ祭りという」とあります。
16日の夕刻、人々が集まり、町内をまわる。行列が四つ辻にくると神官がまずお祓いをし、「一つ祝ってくれ」と呼び、みんなが「祝おう」 「祝おう」と声を合わせて応える。「祝おう」 「祝おう」が「ワイワイ」と聞こえるので、「ワイワイ祭り」と呼ばれたそうです。
この祭りは、昔、萩崎町に病気や災難を受けるものが度々出るので、鬼門除けのお祓いをして難をのがれたのが始まりといわれています。
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「わいわい祭」は小倉三大奇祭の一つといわれています。
この神社、元々は現在の明和町にあり、八大龍王社と呼ばれていました。そして、明治43年、妙見神社に合祀されましたが、地元の人々が、萩崎町の中央の現在地に再建したそうです。
「城下町さんぽ」はいま、秋月街道を歩いていますが、秋月街道は北方線の電車の開通や軍隊の進出等で町の変容が激しく、江戸の史跡があまり残っていません。
わずかな面影を頼りに歩いています。
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