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小倉城下町さんぽ 秋月街道②常盤橋〜宝町
2021年7月1日 17:57
常盤橋を出発。勝山通りを渡ります。
勝山橋も勝山通りはお濠で、昔はありません。
井筒屋本館と紫江sの間の紫川さくら通りを抜け、新館駐車場入り口を過ぎると神嶽川の橋「宝来橋」。ここから小倉城がよく見えます。
川そばの橋を「月見橋」と呼びお城と市庁舎の間から月見をするスポットです。その辺り、「ハンドウガメ」という船着きがありました。
右の鍋島眼科は小倉では有名な眼科医院、明治32年から122年間の歴史のある眼科専門医院です。
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この地はかつて「宝町」といい、江戸時代には宿屋や酒蔵があり、鍋島侯の本陣だった銭屋には3代将軍家光の時、起こった「慶安の変」の首謀者、由井正雪の作った(真偽不明)茶室や庭もあったといいます。
幕臣で江戸後期の文人・大田蜀山人(狂歌名・四方赤良) の 『小春紀行』では長崎下向の際も帰府の途次も、紅屋治兵衛方へ宿泊したとありますが、紅屋という宿屋も宝町二丁目にありました。
元に戻り船場郵便局の前の通りを魚町へ。
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一つ南の路地にこぢんまりした神社「瑜伽神社」が鎮座しています。
ここが、万葉集に「豊国の 企救の高浜 高々に君待つ夜らは さ夜更けにけり」と詠われた「企救の高浜」。小倉の町の発祥の地です。
漁民や旅人の守護神として祭られていた「蛭子神社」が小倉城築城の際、現在地に移され、「瑜伽神社」と改まり、現在に至っています。
新年恒例の「十日えびす」の神社です。
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この神社の鳥居は、西側には「大黒神社」、東側は「蛭子神社」、南向きの鳥居は「瑜伽神社」と3基あり、3基とも違った額がかかっています。
昔の地図に「蛭子堂」「大黒堂」が載っていました。
瑜伽(ゆか)とはサンスクリット語でヨガのことだそうです。
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