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小倉城下町さんぽ 秋月街道⑦三萩野

かつての三萩野周辺の地図。競馬場がある

香春口門から外は城外になります。
この先が三萩野。
1887年(明治20年)に三郎丸村、萩崎村、片野村、片野新町村が合併して「三萩野村」という地名になりました。

北九州、特に小倉地域は合成の地名が多い気がします。それだけ都市化のスピードが速く地名などが追い付かなかったということでしょうか。
例えば、三萩野のほかにも、砂原と中(仲)津口で「砂津」、大和町と富田町で「大田町」、足立と黒原で「足原」、高槻と荒生田で「槻田」、中原と井堀で「中井」などがありますね。

そのほか「志徳」「長行」「徳吉」「黒住」など枚挙にいとまがありません。

旧十三間道路(国道3号線)右側一帯が足立停車場跡

三萩野交差点で十三間道路(国道3号線)を渡ります。

十三間道路とは、日露戦争の始まった明治37年から大正5年まであった「九州鉄道小倉裏線」の足立停車場の跡に、昭和12年に起工した砂津から到津までの区間を結ぶ幅約24mの幹線街路です。
※一間(1.82m)×13間=約23.6m
九州鉄道小倉裏線は、日露戦争前夜、陸軍が海岸線沿いを通ると船から攻撃され危ないと内陸に作った鉄道です。富野から南下し大蔵線につながっていました。
大蔵線は「茶屋町橋梁」等が残っていでます。

足立停車場は180坪の洋風建築駅舎で、全長300mのホームや13本の側線、ターンテーブルや給水所といった施設を持ち小倉駅より大規模な駅だったそうです。

足立中学校からこの辺りまで、足立停車場があった

現在、ニトリやトヨペットなどがある場所ですが、今は面影は全く見られません。
三萩野交差点西側には「黄金町」という商業地域があり、市場などがにぎわっています。
黄金町一帯は江戸時代には一面の田んぼで、稲が黄金色に実っていました。それで「黄金町」。
「白銀町」はそこから連想したのでしょうか。

黄金商店街(市場)
黄金市場西口
黄金市場

昭和8年、小倉城内に、「陸軍造兵廠小倉工廠」が移転してきて人口が急増したため、この一帯も住宅地になり、市場や映画館などでき市内でも有数の商業地域になったのですね。


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