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小倉城下町さんぽ 秋月街道㉑失われた古代の徳力
秋月街道をたどっていますが、今回はずっとずっと古い時代の徳力周辺の話です。
少し長文になりますがご容赦ください。
北九州は大陸に近く、古代から交流の盛んな地域です。
そのため古墳や遺跡も多く残っています。
例えば、八幡西の貝塚、若松区の小田山古墳群、小倉南区の重留遺跡、曽根の古墳群などです。
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ここ徳力周辺も、田川方面に抜ける街道筋ということもあり、古代より人が生活しており、縄文後期から古墳時代、それ以降の時代まで様々な時代の遺跡が残っています。
文明は川の周辺に発達するといわれますが、徳力を含む紫川流域でも、弥生時代の遺跡の発掘調査は、城野などを含め20数か所になるそうです。
国道322号線守恒から今、桜が満開の紫川支流・志井川沿いに行くと、徳力小学校があります。
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この徳力小学校校庭に残っている「玉塚古墳」は6世紀後半の築造で直径約14m、高さ約4m、複室構造をした横穴式石室を持つ円墳、と言われていましたが、現在は方墳の可能性が高まっています。
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今残っているのは1基ですが、昔は、この周辺に数基の古墳があったそうです。
徳力小学校校門の前、川を挟んで反対側の「徳力けやき公園」に縄文から平安にかけての「徳力遺跡」の標識、少し上流、モノレール下からハローデイにかけて下徳力遺跡(縄文~=標識は徳力公団前駅下)、322号線マック前に「上徳力遺跡」(縄文晩期~近世)の標識が立っています。
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小倉の縄文遺跡はほとんどが小倉南区にあるそうで小倉北区には今のところほとんどないと資料に書いてありました。
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そのほか弥生時代では志徳遺跡、守恒遺跡、日の出町遺跡など。
どの遺跡も長い期間使われ続けた複合遺跡で、複数の時代の遺物が出土しています。
上徳力遺跡もモノレール建設時に調査された遺跡の一つで、環濠(かんごう=堀)に囲まれた竪穴住居、高床建物、高床倉庫、方形周溝墓、土器棺墓などが発掘されています。
特に環濠の発見で、ムラの広さは約 800m四方ほどもあり、大きさから、研究者の間では、上徳力遺跡は「北九州市の吉野ヶ里」と呼ばれているそうです。
古墳時代の住居や倉庫群、大形掘立柱建物跡などもみつかり、有力な豪族がいたことや長い間この地にムラがあったことがわかっています。
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下徳力遺跡からは弥生時代の土器とともに銅精錬の時に出る銅滓(どうさい)が出土されており、この辺りで青銅器の生産に関わる人々が住んでいたことが推測されてます。
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また、守恒の山間の「金山谷前ベラ山経塚」から廃寺となった寺院名が入った平安時代の経筒、甕(かめ)が出土していますが、貴重なものとして国立博物館に収蔵されました。
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発掘した遺跡はたくさんあるのですが、ほとんどが都市モノレール工事や区画整理、宅地造成に伴って行われましたので、記録を取ったあと埋め戻されて今は残っていません。
でも、その近くに立ち、上のまぶたと下のまぶたを合わせると、生き生き暮らす当時の人々の姿が浮かんでくるかもしれません。
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