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小倉城下町さんぽ 秋月街道⑬北方

国立小倉医療センター前の旧道を進むと左に「北方1号公園」と北九州高校。
水・食料・武器弾薬・資材などを扱う輜重兵(しちょうへい)第十二大隊があった場所で、昭和49年、有志によって記念碑が公園内に建てられています。ここには戦後、福岡学芸大学(現福岡教育大学)小倉分校がありました。

北方1号公園と北九州高校


輜重兵第十二大隊跡記念碑

その先、都市高速をくぐると、自衛隊西部方面隊第4師団第40普通科連隊です。

陸上自衛隊小倉駐屯地正門

塀の中に見えるのは明治30年頃に建てられた「歩兵第四十七連隊将校集会所」(見学は要予約)で史料館として残されています。

史料館入口
陸奥・長門型砲弾


杉山元帥の陸軍大臣就任を祝う新聞記事

明治の歩兵第14連隊以来、小倉にかかわりのある陸軍史料が残されており、小倉南区横代出身の杉山元(はじめ)・元帥に関しては1部屋設けて遺品やさまざまな史料が残されています。
元帥とは大将よりも上の軍隊における最高階級で、歴代で30人しか拝命していませんが、そのうち2人が小倉出身です。

昭和20年9月12日夕方、元陸軍大臣で終戦時に3人いた元帥の一人である、杉山元帥が、終戦処理を終えた後、胸に拳銃弾4発を撃ち込んで自決、その翌日、賢夫人として有名だったけい子さんが後追い自殺しました。
前庭には、第2代連隊長乃木希典と杉山元帥の胸像があります。

杉山元帥の胸像

小倉は「軍都」といわれましたが、小倉に初めて配置された軍隊は「西海道鎮台」。
明治4年(1871年)のことです。
その後、明治8年(1875年)に歩兵第14連隊が置かれます。
隊長心得を務めていたのは乃木希典大将です。

乃木希典大将像

明治9年10月、秋月の乱・萩の乱に出動、同10年には西南戦争に従軍、2月に軍旗が薩摩軍に奪取されるという事件が起こります。

明治31年(1898年)、日清戦争終了後の軍備拡張政策の中で小倉に第12師団が新設されました。
第12師団司令部は、森鷗外さんが軍医部長として赴任していたことでも有名です。
庁舎は小倉城本丸跡に、その他の部隊や施設も小倉城内に設置されました。今も小倉城内にレンガ造りの門が残っています。

ただし全て収容することは難しく、企救郡北方村(現在の小倉南区北方)にも兵営(軍人が住む兵舎のある地域)が置かれました。
ここが現在の陸上自衛隊小倉駐屯地です。

北方地区に配置された軍隊

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