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鷗外さんの小倉日記㉝我をして九州の富人たらしめば

(九月)
十六日。吉田に托して海松の烟管一枝を買ふ。光澤甚美し。是日福岡日々新聞社の爲めに一文を艸す。題して我をして九州の富人たらしめばと曰ふ。
十七日。日曜日なり。 麻生來りて、昨日草する所の文を持ち去る、麻生船小屋の螢光の奇を談ず。螢の大なること船小屋の産に若くものなし。徃々聚りて柱の狀を作し、柱頭より散じ飛ふ。又大樹の幹に密附して樹膚を掩ひ盡し、その蟲の群一斉に明滅す。 船小屋に遊ばんと欲せば、螢を看る期を待つべしといふ。

16日・部下の吉田(成太郎か)に頼んで海松(うみまつ=黒サンゴ)の煙管を一本買った。

黒サンゴ

海松とは、松の木に似た形状を成すウミカラマツの別名。腔腸動物。本州中部以南の海に分布。群体は木の枝状に分かれ、扇状になり、黒色。数珠やネックレスなど細工物の材料に用います。要するに、サンゴの一種です。その煙管のツヤがとても美しいので満足しました。
17日。この日、福岡日日新聞に依頼され「我をして九州の富人たらしめば」という文を書きました。「我をして九州の富人たらしめば」は鷗外さんが第12師団に着任早々の7月9日、直方駅から福丸(宮若市)での徴兵検査に立ち会うため、人力車に乗ろうとして拒否された事件を思い出してください。鷗外さんは人力車に乗ろうとしましたが、乗場にたむろしている人力車夫たちは、知らん顔をして誰一人乗せてくれません。茶店の主人が見かねて連れてきてくれましたが、20町(2キロ強)ばかりのところで車をとめ、 一服して他の人力車に代わってくれと言いだしますが、代わりの車もなく鷗外さんは困り果て、憤慨しました。仕方がないから、雨の中、田舎道を福丸まで歩きました。直方から宮若市の福丸、かなり距離があります。師団軍医部長の名刺を渡したのですが、その重みがわからなかったのでしょうね。小倉に帰ってその話をすると、車夫にとっては、この近くでは、札ビラをはずんでくれる炭鉱主が一番の上客で、規定料金しか払わない軍人など、相手にしてくれないのだと言う。 この人力車とのエピソードから、世のお金持ちは一時の遊興•酒食に走らず、文化面で貢献しなければならない、もし自分が九州のお金持ち(富人)だったらとの文を福岡日日新聞に寄稿しました。「我をして九州の富人たらしめば」の執筆で、お金を湯水のように使っていた石炭成金に対して、学問・文化への投資を促し、若松の炭鉱王•佐藤慶太郎の東京都美術館寄付や安川敬一郎の「明治専門学校(現 九州工業大学)」創設などこの一文に影響されお金を有効に使うことに目覚めた実業家は数知れません。

福岡日日新聞に掲載された「我をして九州の富人たらしめば」

17日。福岡日日新聞小倉支局長の麻生が、この「我をして九州の富人たらしめば」の原稿を持ち帰りました。
その時、麻生は「船小屋温泉のホタルは大きくてここにかなうところはない、たくさん集まって光の柱のようになり乱舞したり、大きな木の幹に取り付いて樹皮を覆い隠し一斉に明滅する、船小屋温泉で遊ぼうと思うならホタルの季節を待っていくのがサイコー」と話しました。
船小屋温泉のホタルはゲンジボタル、発生地は筑後、みやま両市の船小屋温泉郷付近の矢部川両岸約2.4キロで、 1941年に天然記念物に指定されました。
ホタル発生地として国の天然記念物に指定されているのは、滋賀、 宮城、愛知、徳島、山口など全国に9か所だけです。

船小屋温泉のホタル(筑後市観光協会)

筑後市によると、当時、 矢部川のような大河の中流でホタルの乱舞が見られる場所は全国でも珍しく、大正3年(1914年)の新聞には 「その数の多いこと、 川面一帯がホタルに埋められていたと言っていいくらい。 その美観壮観、 銀河地上に映るのが奇観」と記されているという。

十八日。 巡閲を始む。 先づ北方歩兵營に至る。 婢元のをば末次花大坂に徃く途次來り訪ひて、肥後くま川の鮎を贈れり。
十九日。北方騎工兵營を看る。夕より雨ふる。 庭前の百日紅尚盛に開けり。客ありて曰く。此花毒あり。水に落つれば魚死すと。 未だ信なりや否やを知らず。 客又曰く。 金邊嶺に石灰石多し。他年好財源たるならんと。

二十日。大雨。 北方衛戍病院及輜重兵營を観る。
二十一日。 雨未だ歇ます。 小倉歩兵營、 衛戍病院分房、監獄の三處を看る。

18日。部隊の状況を見るため巡閲を始めた。まず(小倉南区)北方の歩兵連隊に行った。
女中、お元の叔母、末次ハナが大阪に行く途中、我が家に寄って球磨川の鮎を贈ってくれた。
秋は落ち鮎の季節。球磨川は魚体が30cm近くもある尺鮎が釣れる全国随一の川としても知られています。以前も鷗外さんは津和野近くの鮎を貰っていますが、鮎が好物なんでしょうね。

球磨川の落ち鮎


19日。北方騎工兵営を巡閲。夕方、雨。庭の百日紅(ひゃくじつこう=サルスベリ)がまだ盛んに咲いている。
客があり、庭の百日紅の花には毒があり水に落ちれば魚は死んでしまうという。
しかし、それは本当かどうか知らない。
サルスベリは中国南部原産のミソハギ科の亜高木で,落葉性。 樹皮がはがれて滑らかであるところから,〈猿すべり〉の名が出たといわれ,また百日紅(ひゃくじつこう)の名もある。 でも、この客の言うように毒性はないようです。鷗外旧居に今でも残っている百日紅や夾竹桃、毒といえば夾竹桃の方です。

明治からあるという旧居庭の夾竹等と百日紅


精選版日本国語大辞典によると、夾竹桃はキョウチクトウ科の常緑低木。ペルシャからインドにかけて野生し、日本へは中国経由で江戸時代に渡来した。全体に有毒の乳液を含有する、とあります。

森鷗外鍛冶町旧居庭の百日紅

その客のいうには、金辺嶺(金辺峠)周辺には石灰石がたくさんあるのでのちによい財源になるにちがいない。
北九州市小倉南区の金辺峠付近は日本三大カルストの国定公園平尾台、南に香春岳があり、石灰石の発掘が盛んで、セメントの原料として現在でも宝の山となっています。

平尾台に広がる羊群原、山全体が石灰石
石灰石採掘で山容が変わった平尾台

平尾台は江戸時代は薬草栽培場,調練場として利用され,その後は旧陸軍演習地で一般人の立ち入りはできませんでした。第2次世界大戦後入植が進み,ダイコン,トマトなどの野菜栽培が盛んになりました。
石灰石も二つのエリアに以前は工場がありましたが、現在は採掘のみでセメント工場に送られています。
20日。大雨。 北方衛戍病院及輜重兵營、
21日。 雨未だ歇ます。 小倉歩兵營、 衛戍病院分房、監獄の3か所を見て回った。
衛戍病院は現在の国立小倉医療センターです。

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