小倉城下町さんぽ 秋月街道④旦過~馬借町
旦過からみかげ通りを南に進むと、正面に「北九州市立医療センター」が見えてきます。
小倉は、貝原益軒の門弟、香月牛山など名医を輩出しており、医者の多い町でした。
この伝統から、維新後の1873年、藩政時代からの医家である秦真吾、西元朴の建議によって「企救郡立小倉医学校兼病院」が船頭町に設立されました。
これが北九州市立医療センターの始まりです。
病床数は市内で3番目、北九州市の中核病院の一つです。
かつて市立医療センター一帯には小倉藩の船手番所があり、大小の船が係留されていたそうです。
医療センター西側に住吉神社があり、「御船宮」と呼ばれていました。
いまは八坂神社に合祀されていますが、覚えている方も多いのではないでしょうか。
市立医療センターの真向かいに見える古刹は曹洞宗「慈済寺」。
境内にはお地蔵様が祀られています。
北九州市最古と伝わる市指定有形文化財の鰐口(わにぐち)がありましたが、現在は「いのちのたび博物館」にあります。
鰐口は、青銅製で神社仏閣のお堂前の軒下にかけて打ち鳴らすものです。
1618年に小倉城主細川忠興の眼病平癒を祈願して、家臣が慈済寺に奉納したとのことです。
この鰐口の作者は小倉鋳物師大道(だいどう)九兵衛とあります。
「大道」は馬借町に住み、のちに「火打ち金」の製造で領外にも知られました。
天明年間の紀行文「西遊雑記」によれば、大道の「火打ち」は小倉の名産で、「火の出ること、最も妙なり」と評しています。
火打ち金とは石と金属を打ち合わせ、出る火花をもとに火をおこす……「銭形平次」などの時代劇に出るあの着火法です。