小倉城下町さんぽ 秋月街道⑳徳力団地
北九州都市モノレール西側に九州最大の「UR徳力団地」があります。
総戸数2300、人口約4000人で、福岡県内の東峰村や赤村より多いです。
北九州市は戦後、工業が盛んになり人口も増加、核家族化も進んだため、住宅不足が深刻な状況となりました。
昭和40年代に入ると、住宅公団が九州では初めて手掛ける団地開発として、徳力地区に大規模な造成を始めました。
1966(昭和41年)年暮れに最初の区画が完成。以後3年余りをかけて、現在のエリアが出来上がりました。
当初の徳力団地は、モダンな間取りがサラリーマンの生活意識とマッチして入居希望者が殺到したため、抽選によって入居者を定めていました。
そのため、当時の入居者は、医師や弁護士、大企業のサラリーマン、教員といった比較的裕福な核家族家庭が多かったとのことでした。
徳力団地を契機として周辺でも宅地開発が盛んになり、徳力・南方地区では以後30年ほどの期間をかけて大規模な区画整理が行われました。
徳力一帯は農業地域で、田んぼの大掛かりな埋め立てが必要だったので、現在の山手・企救丘地区の山を切り崩した土を運びました。
その土を運ぶダンプの通り道がそのまま現在のバス道路に、山土を取った山手地区には広大な平坦地が出現したため、ここでも宅地が造成され一般への分譲も始まりました。
徳力団地の発展によって周辺の環境も劇的に変化しました。
国道322号線は道幅が拡張され、1978年にその中央部にモノレールが開通したのも徳力団地の発展があってのこと。また徳力団地を追うようにして周辺地域である志徳、守恒、企救丘にも団地が登場しました。
時は移ろい、徳力団地も高齢化が進み高齢化率35.8%になっています。
建物も1階、2階をバリアフリーにした高齢者優良賃貸住宅なども設置、高齢者の見守りのための職員の配置、安心コールなどの取り組みをしています。
周辺の住宅地、山手、企救丘なども世代交代が進み、つい最近も山手団地の核であった北九州高専職員住宅が取り壊され、新しい住宅地になっています。
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