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小倉城下町さんぽ 秋月街道⑲徳力宿

(小倉南区)徳力は藩政時代、秋月街道最初の宿場で、享保年間に公式の御用をする本宿だった石原町が大火にあったため、安永年間(1770年代)に本宿が移されたそうです。
小倉藩の宿駅には「本宿」と「半宿」があり、「本宿」は諸大名の参勤交代や公儀の旅行などで、小荷駄の運送継ぎ立てを行うもので、宿役人である問屋がこれに当たります。本宿には一戸につき宿役給三斗が与えられるなどの特典がありました。小倉藩内の「本宿」は、大里・下曽根・徳力・呼野・松江・八屋など。
「半宿」は藩用の小荷駄継ぎ立てを行い、問屋の設置はなく、人馬会所詰めの庄屋や村役人がこれに当たりました。藩内の「半宿」は、大橋町、石原町・蒲生などです。

徳力神宮(神理教)内に残る道標

幕末の1860年(安政7年)3月3日、大老井伊直弼が水戸藩士に襲撃され暗殺される「桜田門外の変」がありました。
幕末の動乱を象徴するような有名な事件です。

企救郡の大庄屋「中村平左衛門日記」によりますと、こうした大きな事件が小倉に伝わったのは20日ほど過ぎたころで、領内のお達しでは、「襲撃で生き残った浪士たちが西国に潜伏しているとの噂から、各宿場においては旅人は一日の逗留を認めるのみで、たとえ病気を理由に二泊以上を申し出ても、駕籠で隣の宿まで送り届けるように」とあります。

万延元年3月3日,水戸浪士が大老井伊直弼を襲撃した事件の図(茨城県立歴史館)

江戸で起こった事件ですが、小倉のように離れた場所でも警戒が厳重だったのがうかがえますね。

徳力に現在、「宿場」の面影は残っておらず、想像するしかありません。

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